作家になっても周囲は誰も盛り上がってなかった
──ふふ。デビュー作から注目されたし、2005年には『幸福な食卓』(現・講談社文庫)で吉川英治文学新人賞も受賞したのに、「作家になった!」みたいな気負いが全然ない。
瀬尾 田舎に住んでいるからですかね、私の周囲では誰も盛り上がってなかったです。それに、作家になった気もしなかったんです。編集者の方々が会いに来てくださるのも、みんな丹後が珍しくていらっしゃるんだと本気で思っていました。そんなふうに、ふわっとした感じで書いていたら、それが本になったりする、という感じでした。
──でも正教員の試験に受かった後も、小説を書くことはやめなかったわけですよね。
瀬尾 書くのは楽しかったので、もう書かないとは思わなかったです。仕事以外に好きなことがあんまりなくて。テレビもそこまで見ないし、旅行も行かないし、習い事もしていなかったし。土日に小説を書くくらいしか楽しいことがなかった、って言うとめっちゃ寂しい人みたいですよね(笑)。私、あんまり遊ばないんですよ。仕事が好きだから。
──どうしてそこまで教員になりたかったのでしょうか。
瀬尾 小学校の時からなりたかったんです。そんなに学校が好きじゃなくて、「もっと楽しくできるのに」と思っていました。子どももめっちゃ好きです。皆さんよく「子ども好き」っていうと小っちゃい子限定に思われますけれど、私は15歳くらいまで好きです。可愛いし、いじらしいし。中学生も、自分たちでぐじぐじ苦しみながら、でも一生懸命真剣に考えているところがいいのかな、うまく説明できないんですけれど。
──そういう方だからこういう、愛情が嘘っぽくならない話が書けるのだなと思いました。今は教師を辞めて専業作家ですよね。
瀬尾 健康診断に引っかかってそのまま入院して、手術して、その年に退職したんです。婦人科系の病気だったので子どもが産めないと言われたので、学校を辞めた後で2年間勉強して保育士免許を取りました。でも免許を取ったら結婚して子どもが生まれました。子どもが大きくなったら保育士もしてみたい……と、まだフワフワと迷っています。