- 2019.06.25
- 書評
他人への愚痴も書かれていた、7200枚にわたる“ダ・ヴィンチ”の手記を読み解く
文:ヤマザキマリ
ヤマザキマリが『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(ウォルター・アイザックソン 著)を読む
7200枚にもわたる手記を残したレオナルドは、果たしてそれが自分の死後何百年かののちに、隅々まで読まれることを予知していただろうか。創作への考察のみならず、他者への愚痴から実母の埋葬の費用、彼にとって生涯コンプレックスだったラテン語のテキストの購入記録に至るまで、あからさまに暴かれる日が来るとは、さすがに想像もしていなかったはずである。
それだけではない。僅かに存在する油絵だけではなく、何気ないスケッチや武器のラフ、人体解剖の詳細などが立派に額装されて世界中の美術館を巡回し、行方不明だった作品が発見されたと思えばたちまち何百億円という額で取引される。あらゆる国々の研究者や作家たちによって書かれたレオナルドについての書籍は数知れないが、それでもこの人に興味を持つ人は後を絶つことがない。
そしてついに、レオナルドは一筋縄ではいかない事業家スティーブ・ジョブズの評伝を手がけた作家にまで興味を持たれてしまった。アインシュタインやジョブズなど、アートとテクノロジーの融合という特異な感性に司られた人物に惹かれて止まないアイザックソンが、レオナルドについて書くのは当然の成り行きとも受け取れるが、ジョブズは晩年、書き貯められていた自身の評伝の草稿を読みたいかと問われて「どうせ酷いことを書いているのだろう」と躊躇してしまったほど、この作家の視点には容赦がない。アイザックソンの前で隠し事は無用だし、どんなに本人が外向きに自らのイメージを装っていても、それは一切意味を持たなくなってしまうのだ。
非嫡出子として生まれ、家族愛に対するコンプレックスを抱き、社交的であっても基本は孤独。周囲との協調は意中に無く、トラブルにも事欠かない。しかし自己プロデュース力とそのカリスマ性で時代を凌駕し、長いものには決して巻かれず、直感に従った判断で不便すら魅力にすり替える。こうしてレオナルドの生い立ちや性格を書き出してみると、ジョブズと重なるのが面白い。
単純な方程式で解かれることを許さない人物は確かに探り応えがあるだろう。私自身も学生時代から何冊もレオナルドに関する書籍を読み、学校の課題で模写をした時には大胆さと神経質さの入り混じった孤高の天才の難解な側面を垣間見ることもできた。そんな経験を踏まえつつ読んでみた本著だったが、行き過ぎた主観も偏執の澱(おり)もなく、冷静を保ちつつも本人を間近で観察し続けてきたかのような臨場感のある客観的記述が小気味良い。これほど明確な輪郭を持ったレオナルドを文献で読んだのは初めてである。さすが複雑な人間を解析するのが得意なアイザックソンである。読者はこの書籍を通じて知るレオナルドという小宇宙を、その世界観を、明日を生きるためのヒントと捉えていくことになるのだろう。
Walter Isaacson/1952年生まれ。ハーバード大学、オクスフォード大学にて学ぶ。米『TIME』誌編集長、CNNのCEOなどを歴任。著書に『キッシンジャー 世界をデザインした男』『スティーブ・ジョブズ』『アインシュタイン その生涯と宇宙』など。
ヤマザキマリ/1967年、東京都生まれ。漫画家、作家。主な近著に『スティーブ・ジョブズ』『ヴィオラ母さん』『パスタぎらい』など。
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