累計9万部のロングセラーとなり、読売文学賞を受賞した平野啓一郎さんの『ある男』。6月1日に英訳“A MAN”がAmazon Crossingから発売され、好評を持って迎えられている。ウェビナーを使って行われた、英訳者のイーライ・K・P・ウィリアムさんと平野啓一郎さんの対談の一部をご紹介する。
Eli K.P.William 1984年カナダ、オンタリオ州トロント生まれ。小説家・翻訳家。2009年トロント大学哲学科を卒業以来、日本在住。小説作品に、近未来の日本を舞台にした“Cash Crash Jubilee”など。長編小説としては、“A MAN”が初めての翻訳作品となる。
――『ある男』、主題である戸籍の問題のみならず、現代日本独特の問題が多々盛り込まれています。これら日本独特と思われる事柄に英語圏の読者が興味を持ち、“A MAN”の人気が高まっている要因はなんだと思いますか?
イーライ 日本的な部分に読者があまりハードルを感じずに済んだのは、まず物語に魅力があり、登場人物に感情移入することができたからではないでしょうか。その上で、日本特有の課題に出会って、そこにも興味をもつことができたんじゃないかと思います。
平野 たしかにストレートに共感してもらっている部分もあるし、すごく日本的、という感想をもらうこともあります。ただ僕自身は十代から二十代にかけて、外国文学の影響をすごく受けて成長してきました。その中にはたとえば、ドストエフスキーの十九世紀ペテルブルグを舞台にしたような、現代日本とはずいぶん違う世界を扱ったものもあった。しかし、そこにある種の発見もあり共感もあって読むことができた。そういう意味では、文化が違っても読んで楽しめるのが文学のいいところではないかと思います。
――英語版では日本語版と文章の順番が変わっているところもありました。そのあたりの工夫は?
イーライ 英語と日本語の語順の違いから、センテンスを入れ替えないとなめらかにつながらないことがあります。また英語圏の読者が求めている論理構成に合わせて、流れを整理した部分があります。
平野 『ある男』の英訳は何人かの翻訳者に一部だけ「試訳」してもらい、結果として出版社がイーライさんにお願いすることになりました。その中で、谷崎潤一郎の英訳をしているアンソニー・チェンバーズさんに、イーライさんの試訳を読んでもらったんです。そうしたら、「すごくクリエイティブに翻訳上の問題を解決していて、とても良い訳だ」とおっしゃっていた。チェンバーズさんは翻訳に関してとても厳しい人だから、これはいいお墨付きを得たな、と僕も喜んでいたんです。
「自分の作品が外国語でちゃんと伝わると思いますか?」と聞かれることがあります。それはしょせん無理なんじゃないか、と言う人もいます。たしかに泉鏡花の作品を英語に訳すとかになると色々難しい問題が出てくるでしょう。でもそれを解決する工夫は何かあるような気がします。
昔、フランス文学者の粟津則雄さんと、フランスの詩人、アルチュール・ランボーをめぐって対談したことがあります。僕もランボーが好きですが、全部日本語訳でしか読んでこなかったので、対談する前は、「日本語で読んでランボーがわかるわけないだろう」と怒られるんじゃないか、とちょっと怖かった(笑)
ところが実際に対談してみると、粟津さんは、「日本語で読んでもランボーはわかります」と力強くおっしゃったんです。というのも、粟津さん自身、ランボーの日本語訳をしているわけだから伝わらないということになったら、虚しいわけです(笑)。
フランス語の詩を日本語に訳すとき、終戦末期から戦後すぐのマチネ・ポエティックグループは押韻をまったく同じ位置に入れるなど、形から入るやり方をしましたが、結局あまり効果的ではなかった。形式的にそのまま訳すことが、原文の持つ効果を外国語に移しかえる上で最善のやり方とは限らない。むしろ少し変えた方が、言いたいことが伝わるという面がある。そこは翻訳家の方に任せないといけないと思います。
イーライ ありがとうございます。そこは何を優先するかという問題ですね。翻訳で、原文の持つニュアンスのすべてを表現するのは不可能です。『ある男』の場合は、文章の上品さ、美しさを伝えたかったので、そこに一番力を注ぎました。
お二人の話は、さらに多岐にわたったが、続きは下記でお楽しみ頂きたい。
https://www.youtube.com/watch?v=xYTOP2vVqMc&feature=youtu.be
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