『雨滴は続く』の担当編集者による、西村賢太氏の墓参りの記を写真と共にお届けします。
5月13日、七尾の西光寺を訪ねた。前日に見本が出来上がったばかりの単行本『雨滴は続く』を西村さんの墓前に供えに来たのだ。
七尾駅から西光寺まで、15分ほどの道のりを歩く。西村さんがたびたび訪問したという北國新聞七尾支社の玄関を眺め、西村作品ですっかり馴染みの「一本杉通り」を進む。通りから小さな路地に入ったその先に目的地はあった。山門をくぐって左手に広がる墓地の、最も手前にお墓はあった。
きれいに花が生けられ、たくさんの供物で賑やかだ。ラッキーストライク、宝焼酎、ワンカップ酒、カルピスウォーター、焼き鳥缶……好物ばかりの供物は台に乗り切らず、隣りに眠る師・藤澤清造も相伴に与かっている。ふたりで杯を交わしたろうか。
2月4日に東京の病院ですでに意識は失っていたお顔を拝見して以来の再会に、しばし墓前にしゃがみ込んだ。そうしているうちにも、スーツ姿の年配男性がふらっと境内に入ってきて、慣れた様子で西村さんの墓にお参りされていた。
『雨滴は続く』の見本は、西村さんの為のものの他に2部、西光寺のご住職・高僧さんと、清造の親族にあたる藤澤外吉さんにも持参している。ご住職には前もって訪問の許しを得ていた。
本堂に上げていただき、いつも西村さんも通されていたという客間に案内される。西村さんのように土地の言葉をうまく再現できないのがもどかしいが、「いつもちょうどそこに座っていた」位置で、ご住職と向かい合う。
ご住職の手には、昨日届いたという『本の雑誌』が。追悼特集「結句、西村賢太」の巻頭には、西村さんの手による「藤澤清造全集見本」が載録されているが、そこにはご住職の実父にあたる先代住職も原稿を寄せていて、ひとしきり懐かしがっていらした。
納骨以降、西村さんの墓を訪ねてくる人は絶えないそうだ。先日は、大男の三人組が墓前で号泣しているところに遭遇された。「先生、なんでこんなに早く……」。
もうずっと「賢太さん」とばかり呼んでいたご住職は、いつのまにか先生と呼ばれるまでになっていることに驚いたという。墓参に来られないファンからも、供物料やカップ麺や酒でいっぱいの段ボールが届く。そのお金を花代に使わせてもらうことで、ご住職が花立をきれいに保っていらっしゃるのだ。
生前墓を建てる時に、何としても清造の墓の隣りに、と西村さんがわがままを言ったのは、ファンには有名なエピソードだろう。
<藤澤家代々墓の土台改修も清造墓の隣りに自らの生前墓を建てるのも、いずれも一度は当時の先代住職に断られている>(「蝙蝠か燕か」文學界21年11月号)
今回、実際に見て、断られたことに合点がいった。藤澤清造の墓とかつてはその隣りであった墓とのあいだには、西村さんが割り込むのに十分なスペースなどそもそも無かったのだ。
先代住職が、無理やり墓を押し込むようなみっともないことはできないし、西村さんにとっても良くないと、拒絶するのは当然である。しかし、こういう時の西村賢太はどこまでも頑なだ。まして、若い当時ならなおのことだろう、幾度断られても、物も言わずじっと頭を下げ続ける姿が目に浮かぶ。
根負けした先代は、それならば清造の墓の台座を伸ばして、その上に西村さんの墓を構えてはどうか、と提案したという。師と同じ台座に収まる――思ってもみなかったこの上ない僥倖に、西村さんの感激はいかほどだったろうか。
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