作者本人を思わせる作家・北町貫多を主人公にした作品を、すでに五十以上発表している西村さん。その「貫多もの」の中で、今作は別格の作だと言い切る。
表題作を書くきっかけは、二年前の二月にミュージシャンの稲垣潤一氏からライブに招待されたことだった。
「会場になった東京タワー近くの高層ホテルの前面あたりは、僕が歿後弟子を自任する私小説作家・藤澤清造が昭和七年に野たれ死にした場所になるんです」
かつて貫多は“一人清造忌”と称し、毎年祥月命日の死亡推定時刻午前四時にこの地を訪れていた。しかし著名な新人文学賞(現実では芥川賞)受賞後は、ライブの日まで一度も足を踏み入れることはなかった。
「ただ泉下のその人に認めてもらう為だけに私小説を書き始めたのに、最近は書く理由がずれてきていた。有り体に云えば、名誉欲が勝ってしまっていたんです」
新人賞受賞後はその強烈な個性が注目され、数多くのテレビ出演もこなし、裕福にもなっていく貫多。しかしその為に、月命日の二十九日に清造の能登の墓所に出向くという長年の習慣を破ったことさえあった。
改めてその地を訪れて清造の“残像”を感じ、決意を新たにした貫多だったが、話はそれで終わらない。
「表題作では現存する人物に遠慮して、要らぬエクスキューズも付した。これでは書き切ることができなかった、という思いが残り、続く『終われなかった夜の彼方で』を発表しました」
同作では己の書く意味を問い直し、自ら表題作へのダメ出しを行う。極めて静謐な作だ。続く文庫版、田中英光作品の校訂作業を通し、表題作での決意の再確認を試みる「深更の巡礼」、七尾の、清造の菩提寺が舞台である「十二月に泣く」も同様で、「貫多もの」での読者人気が高い、暴力や性風俗の描写は皆無だ。
「これは自分の為に書いたもので、その種は処女作の『墓前生活』以来。いわば自分の内面の定点観測記に過ぎぬものではあるんです。ひどく野暮な作です」
と西村さんは言う。一方、
「暴力と罵詈雑言のシーンばかりを無意味に喜ぶ、くだらない・自称・読者にはうんざりしています」
と、はっきり述べる。
今作は、サービス精神が一切排除されているだけに、純化された作家の魂に直に触れるような熱さがある。
「あえて夜郎自大に言いますが、これが合わず、何も汲むところがなければ、もう僕の作は読まなくていい。縁なき衆生です」
──「週刊文春」二〇一七年四月十三日号