2022年5月22日、第9回高校生直木賞の本選考会が開催されました。全国から過去最多となる38校が参加し、逢坂冬馬さんの『同志少女よ、敵を撃て』を受賞作として決定。小説について熱く語り合った高校生たちの感想文を、3回にわけて掲載します。今回は立命館慶祥高等学校、岩手県立盛岡第四高等学校ほか、10校をご紹介します。
駒込学園駒込高等学校(東京都)信樂優太「新たな価値観を知る機会」
今回、高校生直木賞の選考会に参加させていただいて、一冊の本に関して議論するにおいても、住んでいる環境や、学校によって、多種多様な視点があるのだなと気付かされました。
例えば、今回受賞作に選ばれた『同志少女よ、敵を撃て』という作品で私は「今の社会的情勢や、高校生という層においても、戦争という話題はあまり良くない」という意見を出させていただきましたが、他校さんから「今だから戦争について、より考えを深めるためにも読むべき一冊である」や、「高校生が戦争について触れるのがタブー視される風潮自体がおかしい」という様々な視点からの意見が活発に出てきていて、自分の考えの未熟さや、「こういう視点で考えてみるとこの作品も素晴らしい作品だな」という気づきがあり、別の視点を頭に入れた上で、もう一度この本を読み直して見ようかなとも思わされました。
全国の高校生が同じ議題で話し合う機会はほとんど無いと思います。この高校生直木賞の選考会は、本を通じてたくさんの考えを知り、自分の感性・意見を深める良い機会になったと思います。また機会があったら参加してみたいなと思いました。
三輪田学園高等学校(東京都)五味沙那子「“皆で読む悦び”を感じたひと時」
今回が初参加の私は、あまりに白熱した議論に圧倒されてばかりでした。自分と同じ意見、違う意見を持つ高校生と議論を交わす時間は、高揚せずにはいられない、新鮮なひと時でした。
高校生直木賞を通して最も重視された論点は、「なぜその作品を読んで欲しいのか」でした。作品の内容や構成、作者の表現技法などを基に優劣を決める議論も重要です。しかし、私達は、次のようなことを中心に話し合いました。「この作品を読むことで、現代の高校生に何をもたらすのか」「作品を通じて現代の社会問題を考えてもらうことも重要なのではないか」「そもそも高校生直木賞の定義とは何か」「何を基準に決めるべきなのか」。面白いから読んで欲しいという率直な意見を尊重しながらも、私達も、薦める相手も同じ高校生、とはいえ全く同じ考え方を持たない高校生であるかもしれないことを視野に入れながら一作品を決めるということは、思いの外難しく感じました。しかし、今振り返ってみると、「学び」しか無かったことに気付きます。女子校在学中の私は、どうしても女性からの視点で考えてしまうところがありましたが、今回の議論で、性別にこだわらず1人の高校生として多角的視点から考えるということを学ぶことができました。
多様性を認め合いながら多角的視点による思考力を養える、何より本好きの全国の高校生と大好きな本について議論できたこの経験は、私にとって有意義な時間となりました。そして何より、“皆で本を読む悦び”を教えてくれました。このような機会を設けてくださった文藝春秋様、そしてサポートしてくださった先生方や一緒に本を読んできた仲間達には感謝しかありません。ありがとうございました!
麻布高等学校(東京都)福田久治「語り尽くせないこと」
校内選考終了後の帰り道、選考に参加した友人と書評の暴力性について駄弁っていたのが、強く記憶に残っている。価値観の異なる他者に、あなたの書評には納得できない、自分の書評こそが正道である、と押し通すことは一種の暴力ではないのか、と。読書観というのは多種多様であるべきで、断じて頭ごなしに否定してはいけないはずだ。
勿論、あくまで本の面白さを比較するだけではあるけれど、議論を発展させるためには価値観や読書背景のような部分にまで踏み込まなくてはいけない。議論が加熱すればするほど批判も鋭くなり、大規模な書評会の経験がないことも相まって、校内選考では相当に精神を擦り減らした。
人の書評を批判することは人の読書観を批判することであり、当然人に自分の読書観の批判を許すことでもあったからだ。
そのときはこれ以上に疲弊することはないだろうと高をくくっていたのだが、半年ほど経た本選で、校内選考以上に吹きすさぶ暴力の中に身を置く事になった。とりわけ後半、すべての参加校が一堂に会してからは相当に幅の広い議論が展開された。ひょっとすると、計4時間の議論の中で、まとまりよく決着の着いた論点は1つもないのではないかとさえ思う。
僕もまた暴力の片棒を担いだわけだが、参加者が議論の中で大なり小なり立場を変えることが多々あって、議論の幅が広がったのはその結果でもある。立場を変えるということは、自分の読書観を、少なくとも表面上は訂正することだ。
大きな立場の変更という意味では、ついぞ僕は推薦する本を変えなかったが、変えたにしろ変えなかったにしろ、議論の中で誰もが何らかの視座を得、何らかの疑問を抱いたことは間違いない。
書評が自分の読書観を暴露し、ときに揺るがす暴力であるからこそ、参加した誰もが真剣に向き合っていた、と思う。
結果、疲弊こそしたが、それは人の価値観に踏み込んでしまった罪悪感からくる疲弊ではなく、むしろ語り尽くせないことへの飽き足りない気持ちからくる疲弊だったように思う。
今でも紋切り型の高校生像を優等生的に信奉するのはいかがなものかと思うし、ウクライナ情勢を主張の本軸に据えるのは全くもってナンセンス、というか、『同志少女』は情勢如何で面白さを著しく左右されるような作品じゃないでしょ、と思うけれど、それはそれ。僕の主張も正解ではなく、議論の中に確かな答えはない。
もとより書評というのは決着するものではない、その議論に終わりがないということを、本選を経てあらためて感じた。議論はあの4時間で完結したのではなく、むしろ参加者である僕たちに、それぞれ違った形で新たな問を投げかけたのだと思う。
実践女子学園高等学校(東京都)武藤遙奏「小説が見せる世界の不思議」
「高校生直木賞」の名前自体は聞いたことはありましたが、一体何をするのかはよく知らなかったので、少し身構えて本選会に参加しました。
他校の生徒に皆さんが発言するたびに、ミュートになっているパソコンの画面に向かって「なるほど」とか「いや、違うだろ」なんて一人で喋っていました。小論文の例文みたいに論理的に話す人や、情熱的に熱く語る人。私と似たようなことを思った人もいれば、全く違うことを感じている人もいて、当たり前のことなのかもしれませんが、不思議だなと思いました。どうやら小説は読む人によって違った世界を見せてくれるようです。読書の良さを再発見できました。
話を聞いているうちに自分が思っていたことがころころ変わったりもして、それもまた楽しかったです。自分が意見するときにはものすごく緊張して、始めのうちはうまく話せませんでしたが、他の参加者のみなさんがたくさん話しているのを見ていると、私もいつの間にか話せるようになっていました。あんなに自分の意見を話したのは、人生で初めてかもしれません。いつもより少し多く持ってきた水筒のお茶も、本戦が終わる頃になくなってしまいました。
色々な意見を聞いて、世界が開けた気がします。有意義な時間でした。
■立命館慶祥高等学校(北海道)梶浦拓音「改めて作品の本性が見えてきた」
■岩手県立盛岡第四高等学校(岩手県)佐藤ひなた「決められた基準がないからこそ」
■茨城キリスト教学園高等学校(茨城県)大宮海翔「読書の浪漫飛行」
■渋谷教育学園幕張高等学校(千葉県)飯泉華子「本への愛が詰まったバトル」
■聖学院高等学校(東京都)篠原飛陽「自由な小説の楽しみ方」
■豊島岡女子学園高等学校(東京都)山本怜花「議論が楽しいだなんて」
■駒込学園駒込高等学校(東京都)信樂優太「新たな価値観を知る機会」
■三輪田学園高等学校(東京都)五味沙那子「“皆で読む悦び”を感じたひと時」
■麻布高等学校(東京都)福田久治「語り尽くせないこと」
■実践女子学園高等学校(東京都)武藤遙奏「小説が見せる世界の不思議」
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