読み手を支え続ける読書
学校へは本の貸し借り目的で通っていたと言っても間違いではないほど、高校時代はとにかく友人と互いのお勧め本を交換しあっていた。飛び交っていたのは当時毎月のように刊行されていた新潮ミステリー倶楽部の作品群から日本ホラー小説大賞や日本ファンタジーノベル大賞といった文学賞の受賞作、はたまたちょうどレーベルが増えつつあったライトノベルまで実に多種多様。
私自身、幼少時から読書量は相当多かった。しかし、関西一円から通学者のいる学校だったため、同級生の中には朝夕の通学時間で軽々と一冊を読む者も珍しくなく、おかげで私はそれまで縁のなかったジャンルや作家を多く教えてもらった。たとえば稲垣足穂、種村季弘、日影丈吉……ちょうど澁澤龍彥にハマっていた私が幻想文学にのめり込んだのは自然の流れで、そこから赤江瀑、皆川博子となだれ込み、それらの作品群はいまだ私の中の大切な部分を成している。
一方で歴史好きだった私は、世界史の授業で触れたギリシア史に興味を持ち、そこから『イリアス』や『オデュッセイア』といった古代ギリシアを描いた叙事詩を手に取った。戦争に関与する神々、喜怒哀楽の激しい英雄たち、そして奇策「トロイの木馬」でトロイア戦争を終わらせたにも関わらず、海神ポセイドンの怒りゆえ長い流浪を強いられる知将オデュッセウス……それらは三千年も昔に記されたとは思えぬほど生々しく、瞬く間に私を遠い異国の光景に連れ去った。実のところ、私が現在、奈良・平安時代といった日本の古代を多く小説に描いているのは、あのギリシア叙事詩に少しでも近づきたいと考えているためかもしれない。そして告白すれば私は同時に、いつか自分の筆で古代ギリシア・ローマを描いてみたいと夢見ている。
純粋に面白いと思ったものだけを追い続ける読書ほど、楽しいものはない。そしてそんな経験は、その後も長く読み手を支え続けてくれる。というわけで私は自分自身が作家になってもなお、高校生の頃にハマった様々な作家さんの新刊をいまだわくわくしながら追いかけている。作家という仕事を取り払ってしまえば、私は高校生の頃から何も変わらぬ、ただの本好きのままである。