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辻原登×絲山秋子「小説の余白に信を置く」

辻原登×絲山秋子「小説の余白に信を置く」

文學界10月号

出典 : #文學界

「文學界10月号」(文藝春秋 編)

常に外からやってくる「小説の言葉」を、いかに感受するか。住みよい場所を見つけることの重要性。
井伏鱒二が描く「粗忽者」について――。
文學界新人賞選考委員と受賞者、20年を経ての対話。

◆プロフィール

辻原登(つじはら・のぼる)●1945年生まれ。85年「犬かけて」でデビュー。90年「村の名前」で芥川龍之介賞、99年『翔べ麒麟』で読売文学賞、2000年『遊動亭円木』で谷崎潤一郎賞、05年「枯葉の中の青い炎」で川端康成文学賞、06年『花はさくら木』で大佛次郎賞、10年『許されざる者』で毎日芸術賞、11年『闇の奥』で芸術選奨文部科学大臣賞、12年『韃靼の馬』で司馬遼太郎賞など受賞多数。

絲山秋子(いとやま・あきこ)●1966年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、住宅設備機器メーカーに入社し、2001年まで営業職として勤務する。03年「イッツ・オンリー・トーク」で文學界新人賞を受賞しデビュー 。04年「袋小路の男」で川端康成文学賞、05年『海の仙人』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、06年「沖で待つ」で芥川龍之介賞、16年『薄情』で谷崎潤一郎賞を受賞。


■「いい小説にある唯一感」

 辻原 絲山さんが文學界新人賞を受賞されてからもう二〇年なんですね。当時の自分の選評を読み返してきたんですが、「イッツ・オンリー・トーク」という小説の良さを自分なりにちゃんと捉えているぞ、と(笑)。「いい小説にある唯一感」と書いたんですが、それはたくらんでできることではない。当時は文學界新人賞から吉田修一、長嶋有、吉村萬壱、円城塔といった優秀な若い人たちが出てきましたが、その中の一人が絲山さんでした。

 絲山 本当に嬉しい選評でした。あの小説では最後、蒲田に住んでいる主人公の家に転がり込んできたいとこが、実は四四歳で結構な齢だったことがわかります。書いた本人としても、そこは書いていて驚いたところなんです。そのことを辻原さんは選評で、「その瞬間に、読者の頭の中で読み直しが実行される」と書いてくださった。私はただ「驚いた」で止まっていたのですが、「読み直しが実行される」と言葉にしていただけたのがありがたかったですし、選考委員の方が読むというのはそういうことなのか、と感激しました。

 辻原 ミステリーの驚きとはまた違うんですが、彼が四四歳だとわかった時、読むほうにもちょっとした衝撃がくるんです。その衝撃をきっかけに、読み直しというのは実際にページをめくって読むのではなくて、読んだ記憶の中で「イッツ・オンリー・トーク」の世界を辿り直すんです。

 絲山 確かに他の本を読んでいて、映画やドラマのダイジェスト映像のような、走馬灯のようなものがブワーッと頭の中で流れる瞬間ってありますよね。「ああ、このためにあのシーンがあったのか!」と。あの小説はもちろん狙って書いたわけではなかったんですが、もしここで読者を驚かしてやれと思って書いていたら、うまくいかなかったと思います。

 辻原 そこがミステリーと違うところで、ミステリーは仕組んでおいて驚かすんだけれど、絲山さんも含めて僕たちがやっているのは、自分でも意外なところに行きついてしまい自分でも驚く、そういうことの繰り返しをやっている。その驚きと喜びのために。

 絲山 そういう瞬間は書いていて頻繁に訪れるものですか?

 辻原 頻繁にはないですが、そういう瞬間に出合うと、小説を書いてる面白さ、醍醐味を感じることはあります。

 絲山 自分の力じゃないんだなぁ、と思います。

 辻原 それは言葉、言語そのものが自分のものではないから。常に外からやってくるものなので、当然起きることなんですが、それをいかに精密化し、構造化するかというところが困難な作業。

 絲山 ものすごく昔の文学作品と繋がっていたり、全く違うジャンルの人が残した発見と繋がっていったり。それに気づくと面白いなと思います。

 辻原 書いていることと読んでいることは、ほとんど同じ作業で、書いているというよりも、読んでいる行為のほうが強いような気がします。

 絲山 私も、書きながら読んでいるように思います。あと、聞いている感じもありますね。だからなのか、最近は自分の書いているものが不思議と、昔話のようなものに戻っていく感覚があります。

 辻原 絲山さんはこの数年、「文學界」で短篇連作を書かれていましたが……あの連作はどういうタイトルになるんですか?

 絲山 『神と黒蟹県』になると思います。

 辻原 神話空間ですね。地名やタイトルからも、そういう空間を舞台にしていると示唆されている。

 絲山 これまで群馬や富山、福岡など現実の場所を舞台にしてきたんですが、その場合は一生懸命取材をして、その地域で暮らす方が読んでも違和感を持たれないよう意識してきたんです。ただ、その書き方をすると、気を遣わなければいけないところも出てきてしまうんですよね。たとえば評判の悪い首長がいたとかこの町とこの町は仲が悪いといった、「わかっていても言ってはいけない本当のこと」が、架空の場所であれば書ける。現実に遠慮しないで書くことで、もう一歩先に進めるんじゃないかなと思ったんですが、もう一歩先に進んだと思ったら意外と見慣れた、昔話のような世界に戻ってきてしまったのかもしれません。

 辻原 実際に存在する土地を描いたから、小説にリアリティが出る、というわけではないんです。具体的な誰もが知っている世界から離れているからこそ逆に、獲得できるリアリティがある。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』で描かれているのは、まさにそういうリアリティですね。『百年の孤独』のマコンドと黒蟹県は、ちょっと似ているところがあるんじゃないかと思いました。ひょっとしたら、これから豚の尻尾を持った人間が出てくるかもしれない(笑)。

■神様は覗き魔?

 辻原 『神と黒蟹県』に出てくる神様は、おかしな言い方になるかもしれませんが、面白い人ですね。「俺は神だから幽霊は見ない」とか「俺は鏡に映らない」とか、ぶつぶつ言うでしょう。

 絲山 そうですね。日本の神話をきちんと勉強してきたわけではないんですが、人間よりも人間味があったり、内的衝動に忠実なところがありますよね。そのあたりは、現実の人間では書けないことかもしれません。

 辻原 絲山さんが『妻の超然』を刊行された時、「波」という雑誌で対談しましたが、その時に僕は、小説を読みながら「パッション」、イエスの「受苦」「受難」という言葉を思い浮かべ、「超然」という言葉を並べて話しました。今回の連作こそ、まさに「神の超然」じゃないですか。

 絲山 あっ! そうかもしれません。デビュー直後に書いた『海の仙人』や、『忘れられたワルツ』に収録された「神と増田喜十郎」など、ときどき神が出てきてしまうんです。ずっと追いかけている題材というわけではないのですが、ときどき割り込んでくる。

 辻原 「割り込んでくる」って、いい表現ですね。神というのは割り込み屋ですから。

 絲山 「俺を書いてくれよ」と(笑)。用事があるわけでもないけれど、町内のちょっとおせっかいなおじさんみたいな感じで、作品の中に入ってきちゃうんです。

 辻原 人間はそういう存在から神々を作ったのかもしれません。誰もいない、誰にも聞かれていないと思っていても、「聞いたぞ」「見てたぞ」と(笑)。

 絲山 ギリシャの神々も覗き見が好きですよね。

 辻原 覗き魔ですよ(笑)。

 絲山 神様はもしかすると、実感できないことに嫉妬してるのかなと思います。神には肉体があるわけではないから、人間と同じように食べ物を食べられない。美味しいかどうかはわかるかもしれないけれど、夏の暑い時期に体が塩分を求める、という感覚はたぶん味わえない。味わえないことを知っているから、人間が気になるのかもしれません。

 辻原 成程! ところで、どうしても僕は、黒蟹県は群馬県がモデルなのかなと想像してしまうんですが……。

 絲山 これはすごくずるいことなんですが、海さえ書けば群馬でなくなりますから(笑)。もしも「これは群馬のことだよね」と言われても、「黒蟹県は海があるので、群馬じゃないですよ」とお答えしています。

 辻原 絲山さんが今お住まいの場所は、市街地の高崎からだいぶ離れたところですか。

 絲山 中心部からは車で三〇分くらい離れた、山の方です。

 辻原 なんとなく、神様がいると感じられる場所のように思いますが。群馬の超然(笑)。

 絲山 例えば富山県の立山であれば、まさに神様という感じで、厳しくもあり神聖さもあります。それに比べて群馬県の山は、もちろん神様ではあるんですが、赤城山が男体山と喧嘩して負けたり浅間山と喧嘩して負けたりと、酔っ払って失敗しちゃう親戚のおじさんみたいな感じです(笑)。もちろんとても愛されているのですが、どこか親しみがあるんです。

 辻原 群馬に住まいを持って、もう何年ぐらいになりますか。

 絲山 二〇〇五年に部屋を借りたので、一九年目です。会社員の時に九州に行ったり名古屋に行ったり、あちこち転勤いたしまして。高崎でも二年弱勤務していたんですけれども、その時に場所が気に入りました。景色が好きなんです。実際に住んでみたら、人もとっても付き合いやすい土地でした。飾り気がなくて気取ることが嫌いで、裏表がない。女性が元気で、少しぐらい乱暴でもあまりそのことでとがめられない。男性も強い女性に慣れているから、遠慮なくはっきり物を言って暮らせるのは、私個人の性格にも合っていたと思います。

■現実の地名は錨

 辻原 住む場所を見つけるというのは、誰しも大事なことですが、ましてや作家は机に齧り付いてものを書かなければいけないわけですから、住みよい場所をいかに見つけるかは、とても重要なことだと思います。

 絲山 毎朝いい景色が見られるのは最高です。なにか悩みがあったりうまく行かないことがあっても、毎朝いい景色を見てリセットできるおかげで健康に生きていられるように思います。

 辻原 素晴らしいですね。

 絲山 辻原さんもどこかのタイミングで、自分の住む場所はここだ、とお考えになられたんですか。

 辻原 僕は、ないんです。郷里の和歌山を出た後、出た限りは戻ることはないだろうなと思いながら、その都度その都度、食べていくために場所を移ってきました。今は横浜に住んでいて、もう三〇年近くなります。神戸で震災があった年、震災の直前に神戸から引っ越してきました。妻の両親の介護の問題が持ち上がり、近くに引っ越すことにしたんです。

 絲山 では、一番最初に小説を書かれた時は、神戸にいらしたんですか?

 辻原 そうです。神戸は三、四年しか住んでないんですが、もっといたかったな、と思います。大阪、西宮から芦屋、神戸、須磨にかけてのゾーンは、近代以降の日本で一番豊かなところです。阪急・阪神沿線のいわゆるモダニズム文化が華やかで、東京なんかの方がずっとダサい(笑)。そういう暮らしに憧れた時代があって、職場は大阪だったんですが、どうしても神戸に住みたいからと通っていたんです。精神医学者の中井久夫先生は、「神戸に住むと出世を忘れる」と書いてました(笑)。

 絲山 私の母が神戸高校出身なんですが、神戸は北に山があって南は海だから、絶対に方角を間違えないと言っていました。

 辻原 本当に迷うことないですね、神戸にいる限りは。

 絲山 もし平野がどこまでも広がっていたら、自分がどこにいるのかわからない。あるいは、もうこの先は海なんだと思えることで、自分の精神的な縄張りがいつも把握できている安心感があるのかなと思うんです。私の住んでるところも一方が関東平野で開けていて、あとの三方は山で囲まれている。隅っこの席にいるような安心感、背後が守られている感じがあります。神戸について、母はこういうことを言いたかったのかな、と今になって思います。

 辻原 絲山さんは作品の中でいろいろな土地を舞台にされてきましたが、群馬を書くことは多いですね。僕には絲山さんにとっての群馬のような土地がないこともあり、相当いろいろな場所を小説の舞台にしてきました。現実の地名って、すごくいいんですよ。例えば「田原町の交差点にある浅草はんこセンター」と書くだけで、その店が実際にあるかないかは別にして、現実性を帯びる。しかしそれは、実はフィクションの中にしかない。二重の異化作用が働いて、小説にとって非常にいい効果があります。

 絲山 小説を船に喩えると、現実の地名は錨みたいなものじゃないかなと思うんです。現実に繋ぎ止めてそこに停泊することもできるけれども、その錨はいつでも引き揚げることができる。

 辻原 絲山さんにもあると思うんですが、僕の小説を読んだ人は、舞台となった場所に、小説に出てくるものを探しに行っているんですよ。「行ってみたら、なかったです」と言われることがよくあります(笑)。

 絲山 小説に出てきた場所に行って、ここをあの人が歩いてたのかと考えるのって、すごく楽しいことですよね。私も、「『薄情』に出てくるかき揚げうどんのうまい店って、どこのことかい?」と聞かれたり、「『離陸』に出てくる熊本の靴屋さんは本当にありますか」などと、何人もの読者に聞かれました。「ありそうな場所なんですけど、その店はないんですよ」とお答えする時は、ちょっと嬉しいんです(笑)。

■茶化さず揶揄しない

 絲山 私は辻原さんの作品の中では『ジャスミン』が大好きなんですが、辻原さんの小説を読んでいるといつも、土台がしっかりしているなと感じます。土台とはストーリーの骨格という意味ではなくて、書かれているもの以外の、外部との確かな繋がりのようなもの。読者は書かれていることだけで、この作者を信頼して付いて行こう、とは思わないじゃないですか。普通は怖くて付いて行けないと思うんです。でも、辻原さんの作品は土台がしっかりしていると感じられるから、どんなに不思議な話でも付いて行ける気がするんですよね。最初におっしゃってくださった、小説のアイデアは外からやってくる、という話とも繋がっているのかもしれません。

 辻原 僕は、明け方四時か五時頃に一度目を覚ますんです。その時に降ってくるものが、一番信用できると思っているんです。「朝四時の考え」と自分では言っているんですが。確か、誰かが同じことを言っていたはずなんです。ポール・クローデルだったか、小林秀雄だったか。出典がはっきりわからないのですが、どこからかこの言葉が僕の中に入ってきた。

 絲山 興味深いです。

 辻原 僕にとって、一回目に目が覚める(恐らく半醒)午前四時(頃)という時間は、ただぼーっとしているだけじゃなくて、ぼーっとしながら、真剣にぼーっというそのものに神経を集中する。形容矛盾ですが。言語宇宙が言葉を生み出す瞬間、外から何かが、誰かがやって来る瞬間。生まれ出ようとする言葉が戸惑っている。それは小説を書く時に直接役に立つわけではないのですが、外から来るものを感受できる状態にあることが大事なんです。例えば、心が冷め切っていたり、小説のことばっかり考えている状態ではなかなか出てこない。

 絲山 私も、机の前に座っている時はなかなかアイデアが出てこないんです。駅で電車を待っている時や車を運転している時、散歩をしている時など、ほとんど移動中に出てきます。体がやることは決まっていて、制約があるんだけれども頭には少し余裕があるような状態の時に、「なんでこんなことを思い付いたんだろう?」となることが多いです。

 辻原 絲山さんは、小説の設計図は事前に作るほうですか。

 絲山 ほとんど作らないです。ただ、「どこかでこのことを書くんだろうな」と、最後のシーンの景色やキーワードみたいなものが見えている時はあります。「あの島に行くんだろうな」と、島の名前ぐらいしかわからない感じですね。

 辻原 その感覚は、一番確かですね。

 絲山 はい。絶対にそれを疑わない、自分で茶化さない、と決めています。例えば『末裔』を書いている時は、「パンツのなる木」が最後に出てくることしかわかっていませんでした。それを編集者に話すと「さすがに違うんじゃないですか」と言われたんですが、いや、確かに出てくるはずなんだ、と。そうしたら、やっぱり最後に出てきました。それをバカバカしいって私が判断したら、もう二度とその小説はこちらに本当の姿を見せてくれない。

 辻原 先ほど、文學界新人賞の選評で「いい小説にある唯一感」と書いたと話しましたが、確かに「パンツのなる木」の唯一感は尋常じゃない(笑)。計算してそこに向かうのではなくて、そこへ向かってさまざまな要素がどこからともなく集まってくるんでしょうね。

 絲山 頭で考えると、ろくなことにならないんですよね。それはさすがにバカげているよと、自分の書いたものをヘンに揶揄してしまったり近道を探そうとしたりする。自分が考える世界はこういうものだと決めこんでしまったら、外からやって来るものと触れ合えないのかもしれません。

■アンチ進歩主義

 絲山 辻原さんはたくさん小説をお書きになってこられる中で、この時代まではこういうことを書いてきたけれど、後からは変わってきた、最近は関心が別のことに変わってきた、という感覚はおありですか。

 辻原 僕はすごく無節操で、テーマがないんですよ。自分はこういう作家だとか、このところこういうテーマをよく書いているなというふうに考えたこともあまりなくて、無自覚にやってきているんです。ただ、新聞小説をやらなかったら、だいぶ違う小説家になっていたような気がします。一九九七年に初めて新聞小説で『翔べ麒麟』を書いたんですが、それまでとはまるで違う小説の書き方を要求されました。新聞小説を書く辻原、文芸誌に連載したり書き下ろしを書く辻原、短篇を書く辻原。テーマや手法じゃなく、そういう分け方しかできないんです。その中で一貫して言えることがあるとすれば、僕、アンチ進歩主義者なんです。一つだけテーマがあるとすれば、天が、あるいは神が定めた人類の幸福の総量は変わらない。

 絲山 アンチ進歩主義者のお話、ぜひ伺いたいです。

 辻原 人間は一生懸命勉強したり、鍛えたり経験を積んだりすれば、必ず進歩して成長していくとたいてい思います。あるいは、ヨーロッパの近代小説には成長小説や教養小説と呼ばれるものがあるように、主人公がだんだん成長していく姿を描くことにこそ文学の意義がある、とされている。僕もある時期まではそう思っていたんですが、それはちょっと違うんじゃないか、人間には進歩も退歩もないんじゃないか、と。人類の歴史も同じ。小説を書く時、この人物をどういうふうに造形するかを考える時に、この考え方は非常に有効だなと僕は思っているんです。

 絲山 未来は過去よりも良くなるものだという前提は、私もちょっとおかしいなと思います。昔、学生から聞かれたことがあるんです。「教室はいくらでも失敗していい場だから、思い切って失礼な質問を私にぶつけていいよ」と促したら、「齢を取ると才能が枯渇すると思うんですが、それに対する恐れはないんですか」という質問がありました。あまりそういう考え方をしたことがなかったので、すごく印象に残っています。それは、人は時間が経つにつれて進歩するという考えの裏返しなんですよね。

 辻原 そういった直線的な考え方は、僕もなかなか受け入れ難いです。

 絲山 ただ、自分なりに思うのは、それこそ『妻の超然』を書いていた頃は、ものすごく緻密だったんですね。最近はどんどん、ゆるくなってきたような気がします。若いころは個性というものをもっと信じていたんですけれども、だんだん齢を取ってくると「人間、みんな似たようなもんだな」と。死んだら名前さえなくなって、個人ではなく全体の中に与することになるんだろうなと思うようになってきた。こだわりがだんだん減っていき、昔はたくさんの部屋に分けて考えていたものの、それぞれの壁がちょっと溶けてくるような感じがしているんです。

 辻原 それは進歩とか退歩ではなくて、一種の変化ですね。人類には変化しかないと僕は思うんですよ。変化を進歩と言ったり、成長と言ったりするかどうかは、それぞれの人の人生観などと関わってくるのでしょうが。そしてその変化から、書く小説もおのずと変化していくものだと思うんです。

■井伏鱒二と聴覚

 辻原 僕が関わっている神奈川近代文学館で、九月末から井伏鱒二展が開催されることになり、絲山さんに編集委員をお願いしています。文学館での僕の仕事は「いいじゃないですか」と言うだけなんですが。文学館のスタッフから「絲山さんにお願いしたいと思います」と言われて、「いいじゃないですか!」と(笑)。

 絲山 お話をいただいた時はよくぞ私のことを見つけてくださいました、という気持ちでした。私は大の井伏ファンなんです。

 辻原 絲山さんは愛読者であるだけでなく、井伏と接点があるんですよね。

 絲山 心から会いたいと願っていたのに父娘二代にわたって会えなかった……という、接点未満の接点です(笑)。井伏さんは長生きされましたから(※一九九三年七月に九五歳で死去)、いろいろなところでお噂を聞くんです。知り合いのご家族が井伏さんが通っていた病院に勤務していたとか、共同通信の方が三島由紀夫が亡くなったときに井伏さんからコメントをいただいたとか。私の父も、惜しいところまで行ったんです。父は『零の発見』を書いた吉田洋一先生の教え子で統計学者なんですけれども、ある時吉田先生のところへお邪魔したら、「ついさっきまで井伏さんがいて、今帰ったところだよ」とおっしゃられたことがあったそうです。

 辻原 非常に惜しかった(笑)。

 絲山 かつて父がパリ大学で教えていたとき、同じホテルだったご縁で、父は井伏さんと非常に親しい河盛好蔵さんに良くしていただいていたんですね。後に、私が両親とフランスに行った時、井伏さんにいつかお会いしたいんですという野望を伝えようと親子で河盛さんのお部屋にご挨拶に伺ったら、「あなた中三でしょ、受験生じゃないんですか。ちゃんと勉強してるんですか」と叱られまして、とても言えない雰囲気でした(笑)。そんな父も九九歳になったのですが、井伏展をとても楽しみにしているので、連れて行こうと思っています。

 辻原 井伏鱒二との出会いはどんなきっかけでしたか?

 絲山 最初は『ドリトル先生』でした。井伏訳のドリトル先生を子供の時に読めたのは、日本語が母国語でよかったことだなと思います。中学生ぐらいからは井伏さんの詩を読んだり、もちろん「山椒魚」などの小説も読みました。大学生の時に出合った『荻窪風土記』は、今でも一番読み返す本です。私は日本の作家では井伏さんと志賀(直哉)さんのお二人が特別に好きなんですが、二人ともあらすじを書こうとすると難しいという共通点があります。とにかく、文章が大好きなんです。

 辻原 言葉を追いかけているだけで楽しい。

 絲山 河盛さんは『井伏鱒二随聞』で、文学者には節回し派とリズム派がいて、井伏さんはリズム派だ、ただ節回しのうまいやつのほうがどうも人気があるんだよな、とおっしゃっています。実は私は、辻原さんの作品を読む時に、節回しとリズムの両方ともすごい、と感じるんです。連載中の新聞小説(「陥穽」)もそうですが、名調子みたいな節回しと同時に、長い文章の間に決め台詞のような短い文をピタッとはめこまれていく部分がある。そのあたり、ご自身で意識されているんでしょうか。

 辻原 書かれた自分の文章を声に出して確認する、そういう作業はやっていますね。声に出してみないとわからないところって、文章にはありますから。

 絲山 私も、言葉は文字ではなくて、音だと思うんですよね。本を読む時も、常に頭の中で音読しているんです。

 辻原 図録に絲山さんがお書きになった文章、そこでも、井伏作品における音やリズム、聴覚の話に触れられていますね。

 絲山 図録の文章に書いたのは、読む速さのことでした。詩の場合はBPM九〇ぐらいで、随筆の場合は一二〇ぐらい、というふうに井伏は調節していたのではないかと思ったんです。井伏の小説には余白の大きさ、書かれていないことの存在感を感じます。「山椒魚は悲しんだ」って、まるで休符から始まる音楽みたいですよね。終わり方も休符で終わっているような作品が多いように思っていて、聴覚的なアプローチから私なりに井伏作品について整理できたらと思っています。

 辻原 一〇月一四日には、絲山さんの講演もあります。と、僕からも少し宣伝させていただきます(笑)。

 絲山 講演では実際にメトロノームを持ち込んで、速度を体感してもらえればと思いますね。展示の内容は基本的に学芸員の方たちにお任せしていますが、こういうことをやりたいとかこういう部分もぜひ展示してほしいといった希望をお伝えしています。例えば、井伏は対談が面白いんです。しみじみと何度でも味わいたいような、素晴らしいやり取りがたくさんある。それを映像で見せながら朗読を聞くオンラインイベントをしてみたいなと思っています。その時はコメント欄を開放して、それこそ対談を一緒に聞いて盛り上がるみたいな感覚で、みなさんと一緒におしゃべりできたらなと思っているんです。そちらのイベントは、一〇月五日の開催を予定しています。

■粗忽者の系譜

 辻原 僕は、井伏の作品はそんなにたくさん読んでないんですが、「本日休診」や『集金旅行』(映画もいい!)、短篇「鯉」などが好きなんです。大昔、「鯉」について一〇枚くらいの文章を書いたことがあります。

 絲山 親友の死とともに、親友が大事にしていた鯉が行き場を失ってしまう。やむを得ず大学のプールに放して、どうなっただろうかと見に行ったら……。

 辻原 その鯉は悠々と泳いでいた。そして、冬が来てプールに氷が張った。ある朝、氷の上に薄雪が降った。「私」はどうしたか……。

 絲山 「遥拝隊長」もすごくいいですよね。井伏さんの小説って、実際に会ったらつまらないと思うような人が面白いんです。それにいつも静かに黙っている人が強いメッセージを持っている。「遥拝隊長」などは他の作家が書いたらイヤな人を嗤うみたいな話になってしまうと思うんですが、その中に可愛げがあったり、純粋だったり、いろいろなことが含まれている。こんなふうに書ける作家は、他になかなかいないです。

 辻原 「遥拝隊長」の主人公は何者かというと、要は粗忽者ですよね。僕は粗忽という言葉が好きなんです。粗忽というのはものすごく罪深いことであると同時に、その人の隠し持っている絶望みたいなものも表している。井伏は、粗忽を描く達人だと思います。

 絲山 そうかもしれません! 長編の『集金旅行』も、粗忽者の話でしたよね。「山椒魚」もそうでした。

 辻原 粗忽者の悲しみや悪さ、粗忽の罪を描く達人はもう一人いて、藤沢周平です。藤沢の場合は粗忽であることによって、肝心な時に必ず遅れるとか、自分は本当は助けなきゃいけないのに助け損なうとか、とにかく全てが一歩ずれていって、最後は大変なことになる。藤沢周平で一番、粗忽者を描いて鮮やかなのは『玄鳥』でしょう。中編ですけれど、粗忽の罪そのものという話です。

 絲山 落語ともちょっと繋がりますよね。粗忽者はバカでおかしいと笑うだけではなくて、その中にはものすごくまっすぐでピュアなものがある。

 辻原 そう、落語です。粗忽者にはあまり罪の意識がなくて、イノセント。だからこそ、罪作りな言動に結びつく。

 絲山 粗忽な人を描くことには、ものすごく鋭利な刃物をふるうような怖さがある気がします。そういう意味で井伏さんの作品は、本当によく研がれた刃物のような面がありますね。

 辻原 粗忽というのは、掘り出すと相当に深い世界じゃないかなと思います。粗忽者は、ドストエフスキーの作品にもよく出てくる。代表は『白痴』のムイシュキンでしょう。僕の作品で言えば、『冬の旅』の緒方なんかは粗忽者です。絲山さんの『神と黒蟹県』も、粗忽な人間がずらっと並んでいますね。『御社のチャラ男』のチャラ男なんかも、相当な粗忽者ですよ。おそらく、絲山さんの読書経験からにじみ出るところもあるんでしょうね。

 絲山 新しい視点を与えていただきました。井伏の作品や自分が書いてきたものについてブワーッと「読み直し」が始まって、私の頭の中は今大変なことになっています(笑)。

(八月七日、東京にて収録)


■展覧会情報

特別展「没後30年 井伏鱒二展 アチラコチラデブンガクカタル」
会場 県立神奈川近代文学館
会期 9月30日~11月26日
https://www.kanabun.or.jp


構成●吉田大助

(初出 「文學界」2023年10月号

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