昭和の面白い本
いわゆる「古典的名作」を薦める時、ジレンマを抱えてしまう。普通にめっちゃ面白いのに、その面白さの前に「一般教養」があって邪魔になる。別に教養として読んでほしいのではない。ただ面白いから薦めたいのに。
昭和の作家に松本清張という人がいる。渋い作家である。私は高校生の時、母に「なんか面白い本ない?」と訊いて、松本清張が書いた『点と線』という社会派警察小説を薦められた。私が高校生だったのは2000年あたりなので、その当時としてももう40年以上前の本だ。でもめちゃくちゃ面白かった。すごかった。
読むときっと「昭和の香りがすごい!」と思うだろう。男尊女卑や職業差別っぽい描写もあるし(この時代の人としては少ない方だが)、スマホも乗り換えアプリも存在しない時代だからこそできるトリックが目玉だったりするので、「昔は完全犯罪が成立したけど今はなあ」と思うかもしれない。
でも、ぐいぐい読んでしまうのだ。冒頭の、接待で料亭通いをしているモテ男や女中さんたちに感情移入しつつ、どんな話がはじまるのか見当もつかずにいると、突然、えっ、こういう話なの!? とびっくりする。そしていぶし銀のベテラン刑事の地味だけど頭の切れる捜査に惹きつけられ、エリートで若い警部補とコンビを組む展開にわくわくしちゃう。犯人がわかっても証拠はないからどうにかアリバイを崩さなきゃいけない。その面白さ。昭和の作家が書く豊かな日本語に読者の頭も冴え渡り、見事なプロットに興奮する。
本物の骨太とはこういうことだ。堅牢で、根がしっかり張られ、ちょっとやそっとでは揺るがないし崩れない、時代の流れ程度じゃ絶対に負けない強さがある小説。これは他では替えられない宝物である。あと古い本は、友達は読んでないけど私は知ってる、っていう優越感も味わえる。
若者に教えたいとか教養とかでなく、ただ面白い小説が読みたい本好き仲間に、私は『点と線』を薦める。面白いよ。
「オール讀物」2023年7月号より転載