統合失調症の姉と、病気を認めず、病院に連れて行かず、長期にわたって自宅で面倒を見る父と母。その日常をビデオに撮り続ける弟——。2024年公開のドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』は、そんな家族の記録である。

 同作の監督・藤野知明氏が先月末、映画と同名の書籍『どうすればよかったか?』(文藝春秋)を発表した。

「姉は病気なのだから、病院に連れていけばよかった」という一見明解な正解や正しさは、当事者の現実に必ずしも結びつかない。

 そうした「ままならなさ」を生きる家族について、監督であり、著者であり、そして当事者のひとりである藤野氏に話を聞いた。(全4回の1回目/2回目に続く)

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藤野知明『どうすればよかったか?』 ©佐藤亘/文藝春秋

父は姉について「全く問題ない」と言い続けた

――書籍のカバーには、映画のポスターと同様に、お父さんの還暦祝いの家族写真が使われています。藤野さんは今年、この時のお父さんの年齢になりますね。

藤野知明さん(以下、藤野) ほんとうですねえ。父はこの時、幸せな家族を撮りたかった。だけど私は何ごともなかったかのように演じるのが嫌で、カメラから顔を背けています。当時、すでに姉は統合失調症を発症していたと思われる状態で、私はそれを認めない両親と口論ばかりしていました。

 両親は、ふたりとも医者で研究者でした。姉も医学部を目指し、4度目の受験で合格します。けれども、大学在学中の24歳のある日(1983年)、突然叫び声をあげるようになったのです。当時、私は高校生でした。その夜、救急車で姉は精神科に運ばれたのですが、驚いたことに翌日、単身赴任で札幌の家を離れていた父が、姉を連れて家に戻って来たんです。「全く問題ない」と言って。

 以来、父は姉について「問題ない」と言い続け、そのために姉は長い間、精神科医にかかることはありませんでした。

藤野知明さん ©佐藤亘/文藝春秋

母は「姉は統合失調症のふりをしている」と言い聞かせた

――書籍には、お母さんも、お姉さんの症状を認めない言動をしていた様子が書かれています。

藤野 母は、「(姉は)医学部へ行くことを強要され、親の教育虐待を恨んでいる。だから統合失調症のふりをしている」と言うこともありました。無理がある話だと思いながら、本人に尋ねてみたこともあります。その時、姉が「実はそうなんです、えへへ」と笑ってくれたら、よかったんですけどね……。

 母も本心では、姉を統合失調症だと思っていた。けれども私の前では、父がかたくなにそれを認めないので、何も意見を言えなくなっていた。それで、姉は病気のふりをしていると自分に言い聞かせていたんだと思います。

 結局、姉が医療を受けることができたのは、2008年になってのことです。発症から25年も経ってのことでした。

人生のいろいろな可能性が奪われてしまった

――映画『どうすればよかったか?』は、成り立ちが複雑です。もともとは藤野さんがホームビデオの撮影だといって、家族を撮ることから始まります。しかしそれには目的があった。

©2024動画工房ぞうしま

藤野 そうですね。最初は、記録を残さないと姉がどんな状況だったかが分からなくなってしまうと思い、2001年にビデオを撮り始めました。当時、私は就職を機に札幌を離れて関東地方に住んでいたので、実家に帰れるのは盆休みと年末年始くらいですが、そのたびに姉や両親の撮影をしました。

藤野知明さん ©佐藤亘/文藝春秋

 ある程度、撮影したものがたまってくると、姉を医療につなげるのに使えるのではないかと考えるようになりました。精神科医にそれを見せて、「両親は姉が統合失調症であることを否定しているけども、こういう症状が起きている」と説明に使えるのではないかと思ったのです。

――実際、お姉さんを精神科に連れていくのは、両親ではなく、藤野さんでした。

藤野 はい。両親を説得して、ようやく姉を精神科医に見てもらうことができました。3ヶ月で退院して家に戻ってきた姉は、薬のおかげで症状はある程度よくなっていました。とはいえ、普通に外で働いて、一人で暮らしていける状態になったわけではありませんが……。

 それにしても、あまりに遅すぎた。その時、姉は50歳になるかならないかくらいの年齢でした。人生のいろいろな可能性が奪われてしまったと思いました。

“機能不全家族”だったから統合失調症になったのでは

――藤野さんがビデオを回し始めて、それが映画となって一般公開されるのも、撮影からおよそ25年後のことでした。

藤野 姉が退院して体調が良くなってきたので、希望を感じられる部分もある映像になるかもしれないと思い、映像にまとめて公開するのも可能かもしれないと考えるようになりました。ただし、姉の承諾なしには公開できません。その確認を取るのは難しいですから、姉が生きているうちは発表できない。平均寿命(当時、女性は86歳)を考えると、あと36年経てば、世に出せるかもしれないなどと思いながら、引き続き、家族の撮影を続けました。

藤野知明さん ©佐藤亘/文藝春秋

――その後、2011年にお母さん、2021年にお姉さんが亡くなります。

藤野 姉はタバコを吸うわけではないのに肺がんが見つかり亡くなります。その半年後くらいから、撮影素材をパソコンに取り込み、編集を始めました。そうして出来たものが山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された後、一般公開(2024年12月)されることになったのです。すると色々な感想が届くようになります。

藤野知明さん ©佐藤亘/文藝春秋

 その中に「もともと“機能不全家族(ネグレクトや虐待などが常態化した家族)”だったのではないか。だから姉は統合失調症になったのでは?」というものがありました。しかし、私の印象としては、姉が発症する前は家族同士での口論がおきたり、家の中が混乱したりしている様子はほとんどなかった。今から思えば、両親が医者であることが、姉にとってプレッシャーになっていたのかもしれないけれども、私は普通の家だったという認識です。

 だから当事者のひとりとして、「普通の家庭だったけれども、それでも姉は統合失調症になった」ということを伝えたいと思った。そうした映画の感想に答える機会も欲しかった。それがこの書籍『どうすればよかったか?』を書くきっかけにもなりました。

 それにドキュメンタリーは映像に撮れていないものは伝えられません。しかし、文章なら姉が発症する以前の家族の様子や、カメラを回していない時の出来事、当時何を思っていたのかなどを世の中に伝えることができますから。

カメラのおかげで感情を抑えて両親と話せた

――私は高所恐怖症なのですが、カメラのファインダーを覗いていると、不思議なことに高いところも平気になります。藤野さんの場合、撮影の効能といいますか、撮ることで両親と向き合えた面もあったのですか?

藤野 そうですね。カメラがあることで、父や母と会話ができたという面は確かにあります。両親と姉のことをめぐって口論し、激昂することもありましたが、撮影中に感情的になると、その姿が録画・録音されてしまうので、恥ずかしくなるものですよね。だから、カメラのおかげで私は、感情を抑えて両親と話すことができました。

藤野知明さん ©佐藤亘/文藝春秋

 父は父で、日頃は姉の病気について聞かれても、言えない、そんなことはないと否定ばかりしていたのに、撮影していると「普通ではないと思えることがあった」みたいなことを話してくれることもあった。撮られることを意識することの効果はあったと思います。

――藤野さんの撮影について、お父さんはホームビデオの撮影だと信じていた。一方で、お母さんは「あなたの撮り方には職業的なものを感じる」と疑いを持っていたと書籍にあります。どういう所作を見て、勘づいたのでしょうか?

藤野 普通、家族同士でビデオを撮る時は、最初に「はい、笑って」と声をかけると、後は撮るだけですよね。でも私の場合は、インタビューのように色々と質問していたので、母は何かを感じ取ったんだと思います。それに私は日本映画学校でインタビュー撮影の練習をしたことがあります。当時は未熟だったので、学校で教わるようなことがそのまま出ていたのかもしれないですね。

「胸ポケットからスポイトのようなものを取り出して、お茶に何かを…」統合失調症の娘と暮らす父が密かにしていた“許されない行動”〉へ続く