- 2024.11.01
- コラム・エッセイ
新進気鋭の戦略家が提案する「中国と対峙する新戦略」
奥山 真司
『アジア・ファースト』(エルブリッジ・A・コルビー)
出典 : #文春新書
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス
今、世界各地で安全保障上の脅威が高まっている。ロシア・ウクライナ戦争、イスラエルとハマスの戦争がその代表的なものだが、イランが支援するイエメンのテロ組織「フーシ派」やレバノンの「ヒズボラ」も、いつイスラエルと全面戦争を始めてもおかしくない状況だ。
だが、日本に最も関係があり、しかも21世紀の国際政治の運命を決することになりそうなのが、中国の動向である。習近平国家主席は台湾統一を「歴史的必然」であると明言し、軍事侵攻への準備を着々と進めている。南シナ海においては人工島を建設し、フィリピンなど周辺諸国の公船に対し放水銃などを用いた妨害行為をおこなうなど、武力行使一歩手前の行動を繰り広げている。さらには東シナ海の尖閣諸島周辺海域において日本側への圧力を強めているばかりか、沖縄に対する野心も隠そうとしていない。
中国の公表国防予算は1990年代からほぼ毎年二桁の伸び率を続け、深刻な経済危機にあると言われている現在もなお軍拡は続いている。一方のアメリカは2000年代にイラクやアフガニスタンの泥沼に足を取られて消耗し、社会の分断など内向きの対応に追われている。2022年2月からはロシア・ウクライナ戦争にも肩入れして巨額の資金と武器を援助し続けているが、出口は見えない。そうこうしているうちに、アメリカの退潮は誰の目にも明らかになり、対照的に中国はますますアジアにおける勢力を伸長し、世界の覇権をうかがおうという姿勢を露骨に示している。
中国的価値観をよしとしない陣営の国々──アメリカだけでなく、当然日本もその中に含まれるのだが──は、勢いに乗る中国にどう立ち向かえばよいのだろうか?
現代のジョージ・ケナン
今、アメリカで最も注目されている戦略家のひとりに、エルブリッジ・コルビーという人物がいる。2002年にハーバード大学を卒業後、米国防総省(ペンタゴン)などで国防関連の政策立案に従事。そして2017年、弱冠30代後半ながらトランプ政権下で国防次官補代理をつとめ、「国防戦略」(NDS)をまとめる過程で主導的役割をはたした。NDSは、まず何よりもアメリカの利益に対する中国の挑戦への対応に力点を置くよう促すもので、イラクやアフガニスタンから中国へ舵を切る大方針を示した。
冷戦時代に活躍したアメリカの政治学者ジョージ・ケナンは40歳そこそこの若手ながら「ソ連封じ込め」戦略を提案したが、コルビー氏も30代後半で「中国封じ込め」の戦略を描いたことで、一躍脚光を浴びる存在となった。一部には「ケナンの再来」となぞらえる向きもある。
現在、コルビー氏は自身が主宰するシンクタンク「マラソン・イニシアチブ」の代表を務めつつ、主に対中戦略の分野でメディアに積極的に出て自身の戦略を提唱しているが、もし共和党政権が誕生すれば政権入りすることが確実視されている。
そのコルビー氏が、アメリカおよび日本を含めた同盟国の新たな対中戦略として提案するのが、「拒否戦略」(Strategy of Denial)というものである。2021年にアメリカで出版された『The Strategy of Denial: American Defense in an Age of Great Power Conflict』は日米の安全保障関係者たちの間ではとりわけ大きな話題となっている(日本でも『拒否戦略:中国覇権阻止への米国の防衛戦略』〈日本経済新聞出版〉というタイトルで刊行)。
コルビー氏の分析の最大の特徴は、「もうアメリカ一極時代は終わり、その国力の優位は減少しつつある」という厳しい情勢認識が通奏低音のように流れている点だ。ただ、それは単なる悲観主義ではない。
本書の中でも繰り返し述べているように、コルビー氏は自身を「リアリスト」(現実主義者)であると規定している。思い込みや楽観を排し、アメリカと中国の国力を極力正確に捉えたうえで、「アメリカの世界戦略はどうあるべきなのか」という問題に正面から向き合おうというのが基本姿勢である。そのうえで、最大の危険はアジアの「パワーの集積地」において中国が覇権を握ろうとしていることにあると指摘している。
基本のキからわかる「拒否戦略」
では、中国に覇権を握らせないために、どうすればよいのか。本書の前半で説明されるが、アメリカはあらためて戦略的な優先順位を意識し、欧州や中東にリソースを浪費することなく、最大のライバルである中国の拡大を抑止することに集中せよというのがコルビー氏の戦略の骨子である。そのために必須となってくるのが「拒否戦略」である。
コルビー氏によれば、この戦略の要諦は「中国によるアジアでの地域覇権」を拒否することにある。より具体的にいえば、中国政府の覇権拡大の野望を完全に封じ込めるために、アメリカとそのアジアの同盟国たちは積極的に軍備を拡大し、その結果として中国側の意図をくじくことに集中すべきだということになる。
アジアは経済成長率(パワー)の集積地である。中国は、台湾をはじめとしたこの地域での覇権を握ることによって、世界秩序の変更を試みようとしている。
しかしながら、直接的な軍事侵攻や占領を実行できなければ、最終的な中国の地域覇権達成にはつながらない。したがって、この地域における中国政府の軍事侵攻を拒否することができれば、現在のアメリカの東アジア、そして世界における優位は維持される。結果として、日本をはじめとする西側諸国の権益は、中国に奪われずに済む。これこそが今後のアメリカの対中戦略における最大の任務であるというのだ。
本書はコルビー氏みずからが拒否戦略を一般読者向けにわかりやすく説明し、その背後にあるロジックや論証などをブリーフィングしたものだ。著書『拒否戦略』の内容をさらにアップデートしてわかりやすくまとめたものという位置づけになっており、アメリカを代表する現役の戦略家の頭の中身を知るには恰好の資料である。
コルビー氏はただ結論を示すだけでなく、なぜそのような考えに至ったのか、思考の過程をやさしく丁寧に説明している。リベラルな非戦論が溢れる中、これほどまでに軍事の重要性を直視した戦略論を怯むことなく堂々と展開しているのは新鮮に映るほどだ。
先にも述べたように、共和党政権になればコルビー氏が政権入りし、「拒否戦略」が実行されたり大きな影響を与えることはほぼ確実である。当然、それは日本に決定的な影響を及ぼすだろう。本書で説明されている内容は、日本政府の安全保障関係者たちには無視できないものである。
おそらくコルビー氏は戦略論の世界において、バーナード・ブローディやジョージ・ケナン、アンドリュー・クレピネヴィッチ、アンドリュー・マーシャルやロバート・ワークのような人々とともに、歴史に名を残すことになる人物であると個人的には考えている。
本書が、日本の一般読者の方々に「リアリズムに即した戦略とは何か?」を理解するきっかけを与え、政府関係者をはじめとする人々に今後起こりうる台湾有事などを深く考えるためのヒントを与えられれば、インタビュアーおよび訳者として参加させていただいた私の個人的な任務は達成されたと言えるのかもしれない。
<序 新進気鋭の戦略家が提案する「中国と対峙する新戦略」>より
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