高校時代の、ある作家との出会い
高校時代、水泳部に所属し高飛び込みをやっていました。飛び込みという競技は、一回の試技にかかる時間は短いのですが、失敗すると大変な痛みを伴うので精神的にかなり疲弊します。体力有り余る10代といえど、日々の練習にくたくたになっていた私はとにかくいつも眠たかった。授業中も通学電車でもだいたい眠っていたので、高校生のころほとんど本は読んでいません。
唯一の読書体験は、夏休みの読書感想文の宿題です。課題図書の中から、私は有吉佐和子の「華岡青洲(はなおかせいしゅう)の妻」を選びました。ラインナップを見た母が「有吉佐和子か」と呟いたのが頭に残っただけで、特段の理由はありません。華岡青洲というのは欧米に先んじて全身麻酔による乳癌手術を成功させた実在の外科医で、作中では、青洲をめぐる妻と姑の苛烈な攻防がじっとりと描かれています。校長先生ぐらいの年齢になった今振り返っても高校生向きの小説だとはあまり思えないのですが、文章の巧さにも助けられ楽しく読むことができました。ただなにぶん内容が大人っぽいので、感想文を書くのが照れ臭くてひどく手こずった記憶があります。
時を経て大学時代、友人が「俺は〇〇(私の知らないノンフィクション作家)の本は読破したぜ」と言っていたのがカッコよく聞こえ、私も誰かの本を読破しようと思い立ちました。そこで思い出したのが有吉佐和子です。1990年代、書店の文庫売り場には有吉佐和子の作品がずらりと並んでいて、私はそれらを片っ端から読みました。認知症老人の介護問題から歌舞伎の創始者の一代記まですべてが面白く、書店にあるものは難なく「読破」しました。
なかでも気に入ったのが花柳界もので、「芝桜」とその続編の「木瓜(ぼけ)の花」は繰り返し読みました。社会人となり、結婚し、離婚し、一人暮らしになっても読み続け、つごう十数回は読んだと思います。話の筋はわかっているのに何が楽しかったのかというと、登場人物を味わうことでした。主人公の正子とその友人の蔦代(つたよ)の言動、それぞれの処世術から着物の選び方まで、すべてが私にとっては興味深く、何度読み返しても飽きません。彼女たちは私にとってもはや家族同然の存在で、離れることが寂しかった。彼女たちが生きている世界にいつも触れていたかったのです。
今回高校生直木賞の候補にしていただいた「襷がけの二人」は、「芝桜」等とほぼ同じ時代、大正から昭和前半の物語です。小説を書くようになってから「芝桜」等は読み返していないのですが、明治生まれの正子と蔦代の会話の調子や当時の行動様式は確実に私の心身に沁み込んでいて、現代ものではない初めての長編を書き切るのに大きな助けとなってくれました。
高校生のときふわっと出会った作家の小説が、人生に長く寄り添い思わぬ形で力を貸してくれた。そんなギフトのような出会いは、きっと多くの読書人にもたらされているのでしょう。