- 2023.10.04
- 文春オンライン
「夫とのセックスがうまくいかないワケ」「芸者時代の人に言えない過去」…安心して性の話ができる、“奥様と私”の新しい関係
柚木 麻子
柚木麻子が『襷がけの二人』(嶋津輝 著)を読む
戦前は良家の妻だったがわけあって離婚、寮母などをして食いつないできた千代が、視覚障害がある三味線の師匠、初衣(はつえ)の家を訪ねるところから物語は始まる。実は2人は20年以上前、雇う側と雇われる側の立場だった。物語は過去にさかのぼり、山田家に嫁いできたばかりの若い千代、当時、視覚障害はなかった初衣との出会いが描かれる。初衣は表向きは女中だが実質、義父の妾だ。素直な千代は美意識にすぐれた初衣に憧れ、めきめきと家事の腕をあげていくが、ある事情から夫との仲は冷え切っていく。どうやら、初衣もまた人に言えない過去があるようで――。
一連の謎めいた導入部は格調高い。幸田文の「流れる」を思い出させるし、有吉佐和子の花柳界を扱った作品群も蘇る。美味しそうな食事、細やかな生活描写、粋な仕草に彩られた「奥様と私」物語だ。しかし、クラシカルなアイテムを的確に使いこなしながら、ストーリーがめっぽう新しいことに感動する。家父長制に組み敷かれた女性ふたりがいたわりあう、というそれだけで好ましい展開を、かるがると飛び越えてくるのだ。なにしろ、千代と初衣はそれぞれの立場を超えてしゃべりまくる。結果、千代が夫とのセックスがうまくいかないのは彼女の外性器の形に特徴があるため、初衣の人に言えない過去とは、芸者時代「花電車」という女性器を見せる芸をお座敷で披露したこと、とわかる。この時のお互いの語り口は非常にさっぱりとしてる上、初衣が千代の性器を見る場面はエロスが微塵もなく、テキパキしている。セックスで男を喜ばせること、子を産むことがすべての女性の命運を決めていたこの時代、生まれ持った最悪の不幸として描かれてもおかしくはないのに、初衣はあなたは悪くない、夫のテクニックがないせい、と一刀両断。一連のやりとりは強烈な社会へのカウンターだ。性の問題は明らかにすれば解決できるものであり、そんなことくらいで女性を悲劇のヒロインにしたり悪者にもしないぞ、という著者の姿勢がくっきり見える。初衣もまた風評を恐れているだけで、プロとして先輩から教わった芸をやってみせたことに関しては恥じていない。日本に十分な性教育が行き渡っていない(今だって相当な遅れがある)当時、安心してこんな話ができる相手がいることは、どれほど心強かったろう。この2人がタッグを組めば絶対大丈夫、と胸が熱くなる。そんな蜜月に戦争の影がしのびより始め、そう、「奥様と私」に悲しい別れはつきもの、とハッとする。しかし、その先の展開もまたいい意味で予想が裏切られる。一緒なら最強だった初衣と千代が、一人きりになっても最強だったところには涙がこぼれそうになる。傑作ぞろいの「奥様と私」物語をまたひとつ更新した、新しい時代の名作にふさわしい結末だ。ぜひ、一人でも多くの読者に見届けてほしい。
しまづてる/1969年東京都生まれ。2016年「姉といもうと」でオール讀物新人賞受賞。19年、同作を収めた『スナック墓場』(文庫で『駐車場のねこ』に改題)刊行。アンソロジー『女ともだち』『猫はわかっている』にも作品が収録されている。
ゆずきあさこ/1981年東京都生まれ。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。最新刊に『オール・ノット』。
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