続々重版中の東野圭吾さんのベストセラー文庫『透明な螺旋』。累計1500万部を誇る大人気「ガリレオ」シリーズ第10作を、俳優で作家の中江有里さんが読む。
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シリーズを通読する醍醐味に馴染みのキャラクターたちと会えることがあるが、段々と物語世界の厚みが増していくのも興味深い。
ガリレオシリーズ第10弾の本書は湯川の意外なプライベートが明らかになる。紡がれてきた物語は長さを誇るだけでなく、個々の人間関係、これまでの生活やルーツがどこからか流れて来た砂のように堆積し、重層的な作りになっている。
房総沖で発見された銃殺遺体。被害者の失踪した恋人の関係者として天才科学者・湯川の名が浮かび上がる。湯川と大学の同期で長年の付き合いがある刑事の草薙は、横須賀の両親のもとにいた彼を訪ねる。
私生活をほぼ見せなかった湯川の両親登場に驚いた。認知症が進行した母の世話は父一人では手に余る、と一人息子の湯川が出向いたという。
偏屈な物理学者が母親の介護をしているということに草薙は当惑しながら、事件の関係者の一人とコンタクトを取るよう協力を求めるが、あっさりと断られる。
本書の冒頭では愛する男性との間に芽生えた命を育てられなかった女性の物語が描かれる。彼女は母親の責任を放棄したと非難されるかもしれないが、我が子の将来を案じた末の行動ともとれる。愛の答えは一つではない。また、愛する者を守ることが罪になるとわかっても守ると踏み切る愛もある。罰を厭わずに真実を隠して罪を犯したのだとすれば、これほど動機が難解な事件はないだろう。
真相は表面からは見えない「深層」の中にある。一見愚かにも見える行動を取った者の心情を理解できるのは、同じ愛を知る者だ。誰もが「深層」にたどり着けるわけではない。
どんな人にも親はいるが「普通」の親はいない。それぞれの親がいて、愛し方も親子関係も人の数だけある。
本書に登場する母は、子を手放した過去を悔いながら生きてきた。一方、母のもとで育つことができなかった子は、やがて母の心情の理解に努めるようになる。自分の手をあえて離した母の愛を知っていく。
物理学を用いた湯川独特の推理は終盤で一気に謎が解明するカタルシスが魅力だが、今回彼の謎めいた行動にはミステリーの面白さだけでなく、科学者として、人間としての道理を感じた。
一体私はいつからこの精密な物語の螺旋の中に居たのか。まさかシリーズの最初から仕組まれていたのか……思わずそう問いたくなる快作だ。
(初出:「週刊現代」2021年9月11・18日号)
中江有里/1973年生まれ。ドラマ・映画に出演する傍ら、脚本や小説を執筆。書評も多く手がける。著書に『万葉と沙羅』『愛するということは』など。
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