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日本人は「不安になりやすい遺伝子」を持つ割合が多い? 中野信子さんと脳科学で考える「そもそも人はなぜ悩むのか」

日本人は「不安になりやすい遺伝子」を持つ割合が多い? 中野信子さんと脳科学で考える「そもそも人はなぜ悩むのか」

文=小峰敦子
写真=平松市聖

出典 : #CREA
ジャンル : #随筆・エッセイ

 好評発売中の「CREA」2025年夏号では、母娘問題、職場の人間関係から、性やお金の悩みまで、OVER THE SUN(ジェーン・スーさん、堀井美香さん)のおふたりをはじめ、みうらじゅんさん、叶姉妹さん、上沼恵美子さんなど様々な「人生相談の名手」に読者の悩み相談に乗っていただきました。

 今回の回答者は脳科学者の中野信子さんです。


 もっぱら回答者の人生経験に基づいてアドバイスするのが人生相談。しかし中野信子さんは『週刊文春WOMAN』の名物連載だった「中野信子の人生相談」で脳科学や心理学という自然科学に基づいて回答を導き出した。あらためて中野さんに聞く「では人はなぜ悩むのか」。


【相談】そもそも悩むのはなぜでしょう?

【回答】人間の脳に生まれながらに備わる必要な機能です(中野信子さん)

中野信子さん 撮影:平松市聖

 初めて人生相談に興味を持ったのが、中島らもさんの「明るい悩み相談室」です。朝日新聞で連載が始まった時、私は9歳でしたが、らもさんの回答は、見事に相談者の悩みの本質を突いていることが子どもながらに分かりました。

人は相談する時に本当の悩みを語っていない

 人は悩みを言葉にする時、往々にして悩んでいることをきれいにアレンジして話してしまいます。それは、こんなことで悩んでいるのは恥ずかしいとか、本当は違うところに悩みの原因があると分かっているのに隠したいといった心理のなせる業でもあり、また、人は5個も6個も別のことを並行して考えることはできるのに、複数のことを同時に伝えることはできないという言語の限界ゆえでもあります。そのため、言語的に発せられた悩みに真正面から答えると、本当の悩みに向き合えていない場合があるのです。

 らもさんは時に相談者を茶化すこともありましたが、四角四面の表面的な回答よりよほど誠実であると感じました。そしていつの日か、私もこのように悩める人の心に刺さる何かを届けられるようになりたいと思ったものです。

 長じて今、私自身は不安や苦しみや葛藤を泣きながら抱えて生きる、凡人中の凡人であると思います。それが何の巡り合わせか、友人や知人から悩みを打ち明けられるようになり、やがてメディアを通して面識のない方たちからのご相談にも乗ることになりました。

 神経科学では、必ずしも人間がすべての行動を意識的にコントロールしているわけではなく、無意識に判断を委ねるほうが優れた選択をすることがあるということが判っています。大事なことは熟慮して決めるほうがよいと思われがちですが、正しい選択をするために「直感」は大切なのです。私もいただいたご相談には初見で悩みの本質を読み取るようにして即、お答えするようにしてきました。

 また、お答えするに当たっては科学者の一員として、自らの経験値によらず、科学的な知見、統計学の客観的なデータに基づいてお話しするようにしています。私が人生相談に乗っているようだけれども、私はただ、「100%ではないけれど直感に従って行動したほうが後悔はしづらいですよ」とか、「あなたの不安の95%は現実になりませんよ」とか、科学で分析されている結果を分かりやすくお伝えしている翻訳者にすぎないのです。

人間は不安や苦しみや葛藤があるから生き延びられた

 では科学的見地からみると、私たちはなぜ悩むのか、なぜ不安や苦しみや葛藤を泣きながら抱えて生きるのか、考えてみましょう。

 まず、あなたや私が生きているという事実があります。 私たちは40億年前に地球上に誕生し、途切れることなく続いてきた生物の系譜の中にいる。私たちが存在しているのは、さまざまな実験の末に生き延びた結果なのです。

 特に日本人は、不安になりやすい遺伝子を持つ人の割合が非常に高いのですが、そうなったのもさまざまな実験の結果なのです。日本は地震や台風などの災害が多いことが世界の統計からも明らかであり、このような厳しい自然環境下では、不安な人は災害に備えたでしょう。

 一方、楽観的過ぎる人は災害に備えなかったのではないでしょうか。当然、災害に備えていた人のほうが生き延びる確率は高いですから、長い年月を経て、不安になりやすい人の遺伝子が濃縮されて、日本人は不安が高い集団になっていったと考えられます。今も地震や異常気象やコロナなど、不安を感じている人が少なくないと思いますが、それは極めて正しい反応であり、不安で悩むということは、生き延びるために必要なことです。

 危険なもの、有害なものから自分を遠ざけるために、「悩む」という仕組みが私たちには備わっている。つまり悩むことは、生存の妨げになるものを避けるためのアラート機能のひとつなのです。

 ただ、不安で悩むということは脳にとっては不快でしかなく、辛いし、怖い。認知的にこれを解放する必要があるわけですが、かつてその役目を懸命に担ったのが「宗教」でした。その「来世で救われる」「善行で徳を積む」といった概念は、人々を長期的に有利な生存戦略へと誘導して安心させようとしたのだと思います。でも現代は宗教的権威の機能が変化しているので、悩んで辛い時に「科学」が役に立てばいいと思っています。

 自分の生存を脅かすことではないにせよ、例えば、試験には合格したいけれど、必死に勉強をするなんてことはしたくない。あるいは、家庭は壊したくないけれど、不倫の恋は続けたい……。どれも虫のいい悩みではありますが、人はこのような矛盾する欲求で葛藤した時、合理的な選択をするのではなく、目先の欲求に従ってしまいがちです。

「痩せたいのに痩せられない」という悩みもよく聞きます。たとえダイエットに成功したとしても7~8割はリバウンドしてしまうそうです。それは、ほとんどの人が「食べたいものを食べる」という目先の欲を脳に優先させられてしまうからです。

 それでまたさらに「自分はダメな人間だ」と悩んだり苦しんだりするわけですが、それは人が「自分は知的で、過ちを犯さず、フェアな判断をする脳を持っている」と思い込んでいるからなんですね。そんな脳が正しく機能しないのは、自分に、あるいは家族や環境に問題があるからだと思ってしまう……。

 いえいえ、私たちの脳はそんな完璧に合理的でもフェアでもありません。例えば、脳にはDLPFC(背外側前頭前野)という損得の計算を担当する領域があり、ここは「正しい、正しくない」を判断する領域を凌駕するほど大きいのです。だから私たちは、「正しい」よりも「自分が得をする」ほうを優先させてしまいがちです。昨今の国際情勢を見ても、「正しい」よりも「自分(自国)の利益」を優先させる様子が実に分かりやすく見て取れますね。

 ただし、損得勘定だけでは人間関係がうまくいかなくなったり、資源を奪い合って戦争になったり、その資源が枯渇してしまったりする恐れがあります。そのため、DLPFCを暴走させないブレーキ役として、脳には「善」や「美」を判断する機能も淘汰されずに備わっているのだと私は考えています。

流行の「自己肯定感を上げよう」。でも、わざわざ上げるもの?

 そもそも私は悩みがないこと、悩まないことがいいことだとは全く思っていません。近年では、悩んでいる人は自己肯定感が低い人だという言われ方をしたり、自己肯定感を上げる方法がバズったりしていますね(私もかつてそんな類いの本を出しましたが)。適切な自尊感情は確かに必要だと思います。ただし今流行っている自己肯定感というのは、本来の自己肯定ではなく、要するに楽観的に生きようということなんですね。それでは危険をきちんとスクリーニングする機能がオフになってしまいます。

『平成26年版 子ども・若者白書』(内閣府)で「日本の若者の自己肯定感が国際的に低いことが判明した」と騒がれましたが、欧米の基準をそのまま日本人に置き換えることには大いに疑問を覚えます。いわゆる幸福度の高い国のランキング上位国は、抗うつ剤の消費国ランキング上位国とほとんど被っているという事実をどう考えますか?

 私自身は悩みを抱えていない状態になると、かえって不安です(笑)。毎日筋トレをする人が1日しないと気持ちが悪いと感じるように、私は悩みがないと気持ちが悪い。ああ、もっとこうすればよかったと悩むことは、学習を促すパラメーターとして働くことにもなります。行き詰まっている時は必死で考える。それがプログレスになります。悩みがたくさんあって冴えない人生だと思っている人には、私はこう言いたいです。それは鉱脈がたくさんあるということですよ、悩みが全くない人生なんて、掘り尽くされてしまった鉱山みたいな人生ですよ、と。

中野信子(なかの・のぶこ)

1975年、東京都生まれ。脳科学者。東日本国際大学教授。京都芸術大学客員教授。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。著書に『サイコパス』(文春新書)、『ペルソナ 脳に潜む闇』(講談社現代新書)、『咒(まじない)の脳科学』(講談社+α新書)など多数。


 続きは「CREA」2025年夏号でお読みいただけます。

CREA 2025年夏号

母娘問題、職場の人間関係から、性やお金の悩みまで。
1冊まるごと人生相談
6月6日発売 定価980円

脳科学者 中野信子さん「そもそも悩むのはなぜでしょう?」

会場:代官山 蔦屋書店シェアラウンジ イベントスペース(Zoom配信あり)
日時:7月3日(木)19:00~20:30
料金:リアル・オンライン参加券 1,650円
 サイン入り書籍付き参加券 1,430円+書籍代 1,650円
 (オンラインの場合は書籍配送料+550円)
詳細:代官山 蔦屋書店イベント告知HP
https://store.tsite.jp/daikanyama/event/humanities/47628-1731320530.html

お申込みは以下の専用応募フォームより
https://eventmanager-plus.jp/get/a141d2ee80c9ddabe05b62e20d76c6c02453f09d8e1c700c6dae2e23258204cb
チケットのお問い合わせ:代官山 蔦屋書店 daikanyama.tsutayabooks.onlineevent@ccc.co.jp
その他のお問い合わせ:株式会社文藝春秋 宣伝プロモーション局 プロモーション部 pr@bunshun.co.jp

単行本
悩脳(のうのう)と生きる
脳科学で答える人生相談
中野信子

定価:1,650円(税込)発売日:2025年06月12日

電子書籍
悩脳(のうのう)と生きる
脳科学で答える人生相談
中野信子

発売日:2025年06月12日

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