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スーさんの魔法の筆から繰り出される言葉の数々に、してやられる快感

スーさんの魔法の筆から繰り出される言葉の数々に、してやられる快感

文:中野信子 (脳科学者)

『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』(ジェーン・スー 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #随筆・エッセイ

『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』(ジェーン・スー 著)

 たいてい文庫の解説というと、中野の場合「脳科学的に見て」という観点をその中にちりばめることを求められるのですが、今日はそんな肩の凝るような立場からではなく、スーさんに憧れる同年代のただの女子(敢えて言おう、女子であると……!)として、この解説を書いてみようと思います。

 スーさんと私が話をするとき、私たちはお互いの呼び方についてそこはかとない戸惑いを感じながらやりとりをしています。まるでどちらかが転校生ででもあるかのようなぎこちなさを解消しようという努力はどちらからともなく回避され、敢えてそれを残したまま、不思議な距離感で話をするのです。この感覚はそう悪いものではなく、私にはどこか新鮮で懐かしく感じられ、自由で、心地よかったりもします。

 日本語の二人称が事実上死語化しているという事実がこの戸惑いのおおもとにはあるのですが(これはこれで論じる価値のある面白いテーマですがまたいずれ)、たいていの場合は、近い距離同士の間だけで使われるニックネームを使いあうことで、このぎこちなさを解消しようと試みる人が大半でしょう。

 でも私たちはそうしていません。使い始めると、距離の取り方が難しくなるからです。互いが遠くにあったときの敬意や憧れの気持ちはその鮮やかさが失われ、言葉に強制されるように互いの意思が互いの意思を縛り合いかねない近さでやりとりをしなくてはならなくなります。

 言葉が先導して決めた距離感に従わなければならないような感じは私たちには窮屈すぎます。一般的にはあまり近すぎると同性同士の間であったとしても(だからこそ、かもしれない)お互いに気になることが多くなるでしょう。その堆積がどんな洗剤を使っても落ちなくなってしまった水垢のように心にこびりついてしまった時には、もう遅く、修復のしようがなくなります。それでなくとも私はかなり感じやすく気難しい性質だし、スーさんもおそらくそうでしょう。類稀なる観察眼と、配慮に満ちた文章を書ける人だから、いろいろなことをスルーしてしまうにはあまりに繊細で、多くのことを考えてしまうだろうと思うのです。

 スーさんは、めったにお目にかからない、できれば何十年もお付き合いしたいタイプの人です。そうした関係を維持するには、互いの間にある程度の緩衝地帯を設けておくという工夫が必要でしょう。時には近づいてもよいし、一人でいたいときには一人でいられる、という風にしておくのが、どちらにとっても居心地よくいられる、最良の方法なのではないでしょうか。一見やり取りがない時間が長いこと続いても、心をつなぎたいときにはいつでも、つなぐことができる。そしてベタベタといつまでも一緒にいることはなく、再び一人の時間を楽しむためにそれぞれの日常へ帰っていくのです。

 はじめて私がスーさんの書く文章に出合ったのはもうずいぶん前のことです。その頃、私は大学院生で、モテ、とか、ゆるふわ、などとは完全に無縁の生活を送っていました。むしろ非モテかつガチでありバリであったので、わかりやすいいわゆる女子力が高いとされる人々のキラキラ感とは違う部分に自己評価の機軸を無意識に求めていたのでしょう。そんな状態だったものですから、スーさんがモテやゆるふわやキラキラ等に対して吐いている冷静な毒と、うっすらと自虐を感じさせる鋭い言葉の数々は私の心に深く刺さり、大いに響きまくったのです。スーさんと私は境遇こそだいぶ違うのですが、30代を迎える女子の抱えるモヤモヤ感をこんなにクリアカットに表現できる人がいるのだということに喝采を送りたいような気持ちにもなりましたし、その驚異的な表現力に妬みの心さえ抱いたことを白状しなければなりません。

文春文庫
女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。
ジェーン・スー

定価:704円(税込)発売日:2018年11月09日

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