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フィリップ・トルシエ「工場の機械のような日本のセックス」

フィリップ・トルシエ「工場の機械のような日本のセックス」

田村 修一

「不思議の国のエロティシズム」オール讀物より

出典 : #オール讀物
ジャンル : #随筆・エッセイ

 サッカー日本代表監督に就任し、98年秋に初めて来日した当初、私が驚いたのは日本人が触れ合わないことだった。挨拶のとき握手をしないし抱擁もキスもしない。肌の関係が日本には欠落していた。

 官能(フランス語ではセンシュアリテ)について語るとき、官能という言葉には感覚(同じくサンス)の意味が内包されている。つまり触れ合う感覚、挨拶の際にお互いの身体を接触させることが、官能の最初の要素として存在する。柔らかい(あるいは硬い)肌の感触を感じ、お互いの匂いを感じる。他者と触れ合うのは、肉体的な関係であるからだ。

 日本にはそうした概念は存在しない。親が子供たちと肌を触れ合わないのも、私には驚きだった。西洋では子供が大きくなっても、親との身体的な触れ合いの関係を保ち続ける。しかし日本には、身体の接触の文化は存在しないように私には感じられた。

 触れ合いはとても大事だ。触れ合うことで、言葉には現れない感情を感じ取れるからだ。傍らにいて相手を感じたい、一緒に喜びを分かち合いたいという感情を感じ取れる。この近接性こそが、欲望へと繋がるものだ。相手と一緒に気持ちよくなりたいという。

 だが、そうした欲望を、日本ではあまり感じなかった。外から見る限り、人と人との関係、とりわけ男女の関係は冷たいものだった。

 われわれヨーロッパの人間は女性に挨拶するとき、まったく知らない相手であってもそこに男女の関係があることを感じている。その美しさや雰囲気などで、女性を認識する。ところが日本人は、そうした感情を決して表に出さない。たとえば道を歩いていて美しい女性とすれ違ったとき、ヨーロッパ人は必ず振り返って見返すが、日本人はその美しさに魅力を感じていないように見える。官能に対して敏感ではないという印象だ。かりに全裸の女性が街中に立っていても、日本人がはたして振り返るかどうか私には疑問だ。

 日本人は法律を順守する。そして法律は、人前で裸になることを禁じている。つまり日本人は感情を表現するときも法律に則して語っていて、心からの本音は語っていないと私は感じる。感情は心の表出だが、日本はその社会構造から規則のほうが心よりも強い。だからもしカーセックスが法律で禁止されたら、たとえその機会があっても日本人は敢えて法律を犯さないだろう。そこがヨーロッパとの違いで、日本では欲望よりも社会的なコードのほうが強い。

 だが他方で矛盾もある。それだけの禁忌がありながら、女性の裸を満載した雑誌が書店に溢れているのは、別の意味で私には驚きだった。テレビや映画では陰毛は露出できないが、雑誌では黙認されている。ある意味、それだけセックス文化が豊かといえるのだろう。

 さらに興味深いのは、そうした雑誌を人前で見るのはヨーロッパでは禁忌だが、日本ではそうではないことだった。子供たちでもそれを手に取れる。そこには女性の対象化がある。日本では女性をひとつの人格ではなく対象として捉える。コミュニケーションは一切抜きにした、よりストレートにセックスへと到達する、欲望の対象であり官能の対象だ。セックスの観念が、ヨーロッパに比べ機械的だと私は感じた。

 ヨーロッパのセックスはより感覚的で官能的だ。相手との人間関係がなければ成立しないからだ。ところが日本は、まるで工場の機械のような印象だ。誰か自分を喜ばせてくれる相手がいれば、ラブホテル(ちなみにラブホテルは、私の知る限り世界で日本にしか存在しない)で1時間の愛の交換作業を終えた後に、それぞれが自分の家に帰る。ヨーロッパとはまったく異なるプロセスだ。

 では、日本人の性生活をより豊かにするにはどうすればいいのか。私が思うにセクシャリティやエロス・官能の問題は、労働時間と密接に結びついている。

 労働は他の生活に大きな影響を与えるし、10時間会話なしに働けばいいのではない。たとえば別の話題を同僚と話しながら仕事をする。あるいはコーヒーを飲みながら30分余計に談笑する。仕事のないときは早い時刻に帰宅する。ところが日本では、たとえやることがなくとも、帰宅時間になるまで会社に拘束される。さらには仕事が終わっても、会社の人間関係に縛られ続ける。その間もエネルギーは消費され、私生活が犠牲になる。

 私生活をより良いものにしたかったら、生産性を損なうことなく労働の負荷を軽くしていく必要がある。日本人が考え方を変えてバカンスについて語るようになり、週末のことを考えるようになったとき、あるいは友人や妻、子供たちと過ごす時間のことを考えるようになったとき、ただ動物のように何も考えず黙々と働くよりも、高い生産性が得られるだろう。そして同時に、セクシャリティやエロス・官能についての考え方も変わると私は思う。

 

<編集長より>
 男性週刊誌では「死ぬまでSEX」など中高齢者を煽る報道が過熱し、「アンアン」のSEX特集からはセックス・マニュアルすら消えようとしている。この国のセックスは、官能の本質から大きく離れてしまったのではないか……。
 このように編集部で話し合って、「日本人のセックス」は世界ではどのように見られているのか、元サッカー日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏に寄稿してもらうことになりました。
「ヨーロッパのセックスはより感覚的で官能的だ。相手との人間関係がなければ成立しないからだ。ところが日本は、まるで工場の機械のような印象だ」
 これらの分析には、トルシエ氏ならではのインテリジェンスと説得力があります。
「オール讀物」10月号は年に一度の「官能的」特集として、桜木紫乃(直木賞受賞第一作)、小池真理子などの人気作家に官能短篇を依頼する一方で、岸惠子「わりなき恋、その愛と性」では大女優に思うところを語っていただきました。フィリップ・トルシエ氏による本稿は、エッセイ特集「不思議の国のエロティシズム」の一篇で、佐藤優、鹿島茂、岩下尚史、高野秀行、旭天鵬の各氏にも寄稿いただきました。
 そのほかにも、数多くの小説&エッセイを幅広い読者に提供しています。ぜひ一度、ご覧ください。

オール讀物2013年10月号

特別定価:980円(本体933円) 発売日:2013年9月21日

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