2013.09.20 インタビューほか

フィリップ・トルシエ
「工場の機械のような日本のセックス」

田村 修一

「不思議の国のエロティシズム」オール讀物より

フィリップ・トルシエ<br />「工場の機械のような日本のセックス」

 サッカー日本代表監督に就任し、98年秋に初めて来日した当初、私が驚いたのは日本人が触れ合わないことだった。挨拶のとき握手をしないし抱擁もキスもしない。肌の関係が日本には欠落していた。

 官能(フランス語ではセンシュアリテ)について語るとき、官能という言葉には感覚(同じくサンス)の意味が内包されている。つまり触れ合う感覚、挨拶の際にお互いの身体を接触させることが、官能の最初の要素として存在する。柔らかい(あるいは硬い)肌の感触を感じ、お互いの匂いを感じる。他者と触れ合うのは、肉体的な関係であるからだ。

 日本にはそうした概念は存在しない。親が子供たちと肌を触れ合わないのも、私には驚きだった。西洋では子供が大きくなっても、親との身体的な触れ合いの関係を保ち続ける。しかし日本には、身体の接触の文化は存在しないように私には感じられた。

 触れ合いはとても大事だ。触れ合うことで、言葉には現れない感情を感じ取れるからだ。傍らにいて相手を感じたい、一緒に喜びを分かち合いたいという感情を感じ取れる。この近接性こそが、欲望へと繋がるものだ。相手と一緒に気持ちよくなりたいという。

 だが、そうした欲望を、日本ではあまり感じなかった。外から見る限り、人と人との関係、とりわけ男女の関係は冷たいものだった。

 われわれヨーロッパの人間は女性に挨拶するとき、まったく知らない相手であってもそこに男女の関係があることを感じている。その美しさや雰囲気などで、女性を認識する。ところが日本人は、そうした感情を決して表に出さない。たとえば道を歩いていて美しい女性とすれ違ったとき、ヨーロッパ人は必ず振り返って見返すが、日本人はその美しさに魅力を感じていないように見える。官能に対して敏感ではないという印象だ。かりに全裸の女性が街中に立っていても、日本人がはたして振り返るかどうか私には疑問だ。

【次ページ】

オール讀物2013年10月号

特別定価:980円(本体933円) 発売日:2013年9月21日

目次はこちら