――漢詩文の名言名句を手がかりに、中国各地を訪ねた『中国 詩心(うたごころ)を旅する』が刊行されます。これは週刊文春に5年にわたって連載されたエッセイをまとめたものです。
細川 日本の歴史上の人物に縁のある土地を巡った『ことばを旅する』という紀行エッセイを週刊文春で連載していて、それが終わる頃、次に行くなら中国だなと思っていました。高校時代から漢詩が好きで、陶淵明(とうえんめい)、王維(おうい) 、孟浩然(もうこうねん)、韋応物(いおうぶつ)、柳宗元(りゅうそうげん)といった自然派の詩人たちに惹かれていたので、彼らが詩心を催した場所を見てみたいという思いがあった。ですから、引き続き旅にかかわるエッセイを書かないかという話があったときには、すぐに飛びつきました(笑)。
――初めて訪れた場所が多かったと聞きました。
細川 北京や上海には首脳会議などで行きましたが、中国の名勝旧跡となると、熊本県知事時代に姉妹都市だった関係で訪れた桂林くらいで、ほとんど行ったことがなかったんです。今回は、多くの詩人たちの足跡が残っている廬山(ろざん)や杭州などの江南地方を中心に、そこから長江を遡って成都に行き、さらに西安、南京、北京と新旧の都を訪ねました。一言でいうと、詩跡と史跡を辿る旅であったと思います。
――たくさんの詩人たちを取り上げていますが、一番お好きなのは誰ですか?
細川 李白(りはく)や白楽天(はくらくてん)も好きですが、1人となると陶淵明ですね。彼の晴耕雨読の生き方に若いころから憧れてきましたから。田園詩人として、名誉や利得から離れて暮らした隠棲の元祖みたいな人でしょう。生き方も含めて、好きですね。
――好きな漢詩をいくつか挙げてください。
細川 まず、李白の「山中問答」。なぜ山奥に住んでいるのかと聞かれ、『笑って答えず。ただ桃の花が水に落ちて遠くへ流れ去っていく』。これはまさに湯河原で隠居している、私の心境にぴったりなんです。次に、柳宗元の「江雪」。山々が雪で閉ざされ、鳥一羽飛んでいない川の上で、老人が一人釣り糸を垂れている。孤独な厳しさが出ていて、特に好きな詩です。もうひとつ挙げるなら、これは詩ではありませんが、蘇東坡(そとうば)の「赤壁賦」。わずか500字余りのなかに、宇宙の雄大さと人の世の儚さを対比して謳いあげている。美しい文章の規範だと思いますね。
――今回の旅で、特に印象に残った場所はどこですか?
細川 廬山ですね。李白や白楽天、蘇東坡などの詩跡がある名勝ですが、麓に陶淵明が住んでいたといい、近くの畦道には菊が咲いていました。まさに彼の詩の「飲酒」に出てくる「菊を採(と)る 東籬(とうり)の下(もと)」で、ここまで来たかいがあったと感慨が湧きました。
また、西安の南にある終南山(しゅうなんざん)の麓に王維の別荘があったのですが、そこから仰ぎ見る終南山を見たいとそのまわりを回ったのですが、いい風景に出会えなかった。翌日も方角を変えて探したのですが、天気が悪く、諦めかけていたところ、急に雲が晴れて終南山が見えた。これはきっと王維のお導きがあったおかげじゃないかと思いました(笑)。
――詩人のほかにも、王羲之(おうぎし)や八大山人(はちだいさんじん)、曾国藩(そうこくはん)など書家や画家、政治家などを取り上げられているのはなぜですか?
細川 中国には科挙の制度があり、詩の試験もあったので、政治家や役人も文人だったわけです。書家や画家も同様に教養人だったわけで、そこには私なりの「詩心」に通底するものが感じられるからです。また、詩歌だけではなく、中国の歴史を網羅するような旅をしたいという思いもありました。ですから、『三国志』や『西遊記』といった書物も旅のテーマとして取り上げました。
――本にはご自身で描かれた書画も多数掲載されています。
細川 漢詩は好きで前から書いていましたが、詩を題材に油絵を描くようになったのはこの旅がきっかけですね。ただ、本当の風景ではありません。実際は観光名所となると新しくて安っぽいものばかりで、イメージが壊れちゃう。だから、すべて私の想像で描きました。まさに「胸中の山水」です。
――いまは残念ながら、日中関係は冷え込んでいます。
細川 「戦々兢々(せんせんきょうきょう)として、深淵(しんえん)に臨(のぞ)むが如く、薄氷を履(ふ)むが如し」という言葉がありますが、事を起こすにあたっては、慎重熟慮が必要です。いまはお互い、忍耐をもって対処するしかないですね。考えてみれば中国でも日本でも、紫式部の時代から白楽天を読んできた長い歴史があるわけですから、外交も30年、50年、いや100年のサイクルで考える必要があります。目先の対応で尖閣に灯台や船着場をつくるという話ではないと思いますね。
中国 詩心を旅する
発売日:2016年07月29日