インタビューほか

「欲望の街」歌舞伎町に明日はあるか

「本の話」編集部

『歌舞伎町・ヤバさの真相』 (溝口敦 著)

「欲望の街」歌舞伎町に明日はあるか

──山口組と歴代組長、食肉業界と浅田 満、芸能界と細木数子……。深い闇、巨大なタブーに敢然と挑み続けてきた溝口 敦さんが、新宿・歌舞伎町に斬り込んだわけです。「非服従都市」、「マフィアの棲む街」、「不夜城」、「北半球の下半身」の異称をもつ街に、どんな思い出をもっていらっしゃいますか。

溝口   一九六五年に早稲田を卒業、社会人になった前後から、取材以外でも、ずいぶんとお世話になりました。カクテルバーやコンパ、ゴーゴーの時代です。コンパは客が円型のカウンターを囲み、中央にバーテンダーがいる。残業代を含め月給が三万円のころ、カクテルが一杯百円均一。仲間は新宿御苑からスタートし、厚生年金会館裏、ゴールデン街、歌舞伎町と飲み歩き、ときに私も加わりました。しかし、いままで不思議に痛い目に遭ったことはありません(笑)。

   しかしその間、喫茶店の「上高地」、名曲喫茶の「スカラ座」、「海鮮市場」……。いい店が姿を消しました。新宿駅東口近くで、中村屋、タカノ、紀伊國屋書店など、老舗(しにせ)が頑張っているのと対照的です。コマ劇場の裏には「ヴァレンシア」。スペイン料理屋で、時にギターの弾き語りがある。若者のデートにうってつけでした。

──歌舞伎町は六十一年前、角筈(つのはず)と東大久保が併(あわ)さって誕生しました。溝口さんは、それ以前の地層まで掘り起こし、鮮やかに堆積の断面を見せてくれました。

溝口  江戸時代はツツジの産地でした。新宿区の花はツツジ。これは鉄砲百人組同心の屋敷での栽培に由来します。弾丸の原料の硝石が、ツツジの肥料に転用されたという説もあります。かれらの屋敷址(あと)が現在の百人町で、明治以降は陸軍の用地。つまり、当時から「血と暴力」が刻印されていたとも言えます。コマ劇場のあたりは沼で鴨猟が盛ん。大正時代は広い原っぱ。昭和初期は閑静な住宅地でした。

──麻薬、売春、暴力、ぼったくりバー、地下カジノ……。いまでは世界有数の罪深い街となりました。歓楽きわまって哀歓深し。ヤバさも、魅力のうちですね。

溝口  歓楽街が胚胎(はいたい)する危険、恐怖、ヤバさは、魅力になり得ます。非日常的な匿名で通る空間。悪事もし放題。振り込め詐欺の引き下し場所として全国一といいます。歌舞伎町は限度を超えました。

歌舞伎町・ヤバさの真相
溝口 敦・著

定価:809円(税込) 発売日:2009年06月19日

詳しい内容はこちら