作家生活15年目を迎える芦沢央さんの最新短編集『あなたが正しくいられたとき』(文藝春秋)の刊行を記念したオンライントークイベントが、2026年6月2日に開催されました。イベントゲストとして招かれたのは、同世代の作家・呉勝浩さん。「正義」の危うさと人間心理の複雑さを描いた6編の短編集について、構成の妙から創作の現場まで、作家同士だからこそ踏み込める話が次々と飛び出しました。
※以下の内容は『あなたが正しくいられたとき』のネタバレを含みます。
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「最高です。“粒ぞろい”という表現がふさわしい」
――『あなたが正しくいられたとき』、いかがでしたか?
呉:最高です。「粒ぞろい」という表現がこれほどふさわしい作品集もなかなかないのではと思いました。
表題作「あなたが正しくいられたとき」、そして2編目に「代償」があり、芦沢さんの面目躍如と言っていいクオリティーの作品が続くと思ったら、3作目に「薄着の女」が来るんです。この構成の妙というか、そこで「薄着の女」が来るんだっていう驚きがありまして。
読み終わってから振り返ると、どの作品も考えて配置されているなと感じさせるところがある。作品数があるだけにこういう配置ができたり、作品集全体にひとつのトーンを作っていけるというのが、芦沢さんの強みとしてめちゃくちゃ出ているなと思いました。
「人間の暗黒面を強調する手法がほぼ入ってない」
――呉さんは今回に合わせて、芦沢さんの前の短編集『汚れた手をそこで拭かない』も読み返したそうですね。
呉:そうなんです。芦沢さんはいわゆる“イヤミス”の書き手と評されることがありますよね。そこで、『汚れた手をそこで拭かない』を読み返したら、あの作品集にはきちんと人の嫌なところが書いてあるわけです。「あ、良かった、ちゃんと嫌だわ」と思ったんです(笑)。
そこで、『あなたが正しくいられたとき』と比べたときに、人間の暗黒面のようなものをことさら強調するという手法が今回の作品集にはほぼ入っていないんです。それがすごく気になって。
芦沢:でも私、元々「嫌味なものを書いてやろう」と思ったことはないんですよ。暗黒面を強調しようと思っても書いていなくて。そのアイデアにふさわしい物語を毎回書いているにすぎないので。嫌な気持ちになったという感想をいただくと「嫌な思いさせてごめんなあ」と思うくらいの感覚なんです(笑)。
呉:表題作「あなたが正しくいられたとき」の主人公・消防士の窪田にしても、川におぼれた元カノの娘を助けたり、その娘が虐待されていないか心配したり、いじめを止めようとしたり、やってることは全部まあまあ正しいんです。ほんとに正しいことをしているのに、ラスト、ここまで言われるのかっていう…ちょっとお姉ちゃん厳しすぎるよと(笑)!
芦沢:窪田のように、正しくいたいことって、それはそれですごく尊いことだと思うんです。否定すべきことではない上で、でも他の人とはこういうぶつかり方をすることがある、というドラマを書きたかったんですよね。
「芦沢さんという作家自体が先入観として機能している」――「薄着の女」の構造的な巧みさ
――“問題作”とも呼ばれる「薄着の女」について、呉さんはどのようにお読みになりましたか。
呉:ミステリーの基本的な手法として、読者の先入観を利用して裏切るというものがあります。表題作や「代償」は作中の先入観をうまく使っているなという読み方ができました。
でも「薄着の女」は、作中の先入観というよりも、僕個人の話として、芦沢央という作家自体が先入観として機能していたんですよ。「あ、芦沢さんがキャラクターものみたいな小説を書くんだ」という驚きが、そのまま伏線になっていて。最後の落ちを読んだときに「やられた!」ってなるんです。「芦沢さんもこういうの書くんだね」と思ってたら、「あ、なるほど、だからこうなったのね」という。
芦沢:そうなんですよ。「芦沢さん、これどうしたの?」というのが伏線になっているんです。
呉:メタ的な先入観をうまくコントロールされているなと。この作品集の中に入っている意味がすごくあると感じました。
芦沢:この作品はどこに入れようかと思って、3話目に入れたんですが、どこに入れても浮く変化球なんですよ。で、「待てば無料」でもう一回「十時」というキャラクターを出したら、一番の変化球に合わせてしまったみたいな感じです(笑)。
「立体パズル」と「待てば無料」が響き合う、独立短編集の妙
――6編の並び方についても、呉さんはかなり深く読み込んでいらっしゃいますね。
呉:「立体パズル」は謎が一応解けるんですけど、この作品のコアな部分って、人間のままならなさみたいなものがあって、理解しようとする側のままならなさもある。謎を解く側が解ききれないという余白が残る、不思議な読後感の話なんですよ。
そして、同じようなテーマが「待てば無料」にもそのままあるんです。刑事が謎は解くんだけれど、肝心な部分で間違うというか、理解しきれない部分があって。
芦沢:あー、なるほど。
呉:だから「立体パズル」と「待てば無料」のルックというか、瞬間的な読み味は全然違うのに、裏を読むとこれは同じようなテーマが違う形で描かれているとも言えるんじゃないかなと。この二つの作品が並んでいるっていうのが、この作品集のすごい美点だと思います。
芦沢:うれしいな。でも並びの順は結構、何回か入れ替えましたよ。表題作をまず冒頭に持ってくることで、そのあとの作品を読んだときに表題作を引きずるようにしよう、という意図はありました。「投了図」は最後らしいもので締めたいというのも決まっていて、真ん中の4つをどう並べるかをガチャガチャやりました。
呉:結果論だとしても、やっぱりすごいなって思うんですよ。こういうのがたまたま偶然であったとしても、うまいこと組み合わさるというのは、短編をほとんど書かない人間からすると本当に羨ましい。
単著未収録短編が今でも20本以上ある
――今回の作品集は、単著未収録の短編が20本以上ある中から6本を選んだとのことですね。
芦沢:そうなんです。今回6本使ったのに、まだ20本あるんですよ。使っては書き、使っては書きで。
呉:常に20本以上あるって、ほんとに異常ですよ(笑)。
芦沢:短編集にまとまるビジョンが見えないものは、書いたけど出番を待つ短編になるので、なかなか一冊にならなくて。
今作に収録する短編を選んだのは私で、「これを持ってくることができます」という形で提案しました。「正しさ」にこだわって選んだわけじゃないんですけど、このタイトルで入れてみたら、「正しさ」が読んでいくうちに変わっていく感じがあって。私はずっと正義とか正しさにこだわっているんだなと思いましたね。
――執筆中の作業について、短編と長編で書き方に違いはありますか。
芦沢:短編は大体全部見えてから書くパターンのほうが多いです。どこでひっくり返すとか、感情曲線がこうなってここでパーンってなってくるみたいなのも大体見える。プロットは提出しませんが、出してと言われたら結構完璧に出せるものが、短編は多いです。
長編は「どうなるんでしょうかねー」という感じで書き始めています。
呉:僕はプロットが作れない人間なので、短編のほうがギミックだけで押し切れるところがあって、構造がぱっと思い浮かびさえすれば書いていて楽しいんですよ。長編の方は、ほんとに終わるのかな、面白くなるのかなという時間が長くて苦しい。
芦沢:わかります。一文字も書いてないって言っているとき、頭の中では数パターン全部こういうふうにやってみたいなのが見えているんですけど、どれを選ぶかが決めきれずにギリギリまで引っ張るんです。締め切りというシステムがあるおかげで「これでとりあえず行くしか」となって書き始められる。
呉:締め切りが背中を押してくれるわけですね(笑)。
一番苦戦した作品は?
呉:今回の収録作の中で、一番苦戦したのはどれですか。
芦沢:「代償」はオチを決めずに書き始めていたんです。作家が「これは傑作だ」と書き上げた作品が、実はウェブにありましたよと言われるという、最悪なシチュエーションを先に考えて書き始めてしまって。どうしてそんなことが起こるんだろうと自分でも疑問に思いながら書いていったので、結構不安でした。
呉:逆に楽しく書けた作品は?
芦沢:「薄着の女」と「待てば無料」は書いたことのないパターンでしたけど、結構面白がって書けました。「薄着の女」は競作アンソロジーとして、糸を使った密室トリックを作らなければいけないというお題があったんです。でも私にとってそのトリックはリアリティーラインが合わない。だから「このトリックを使えない私が、このお題でどう書くか」という発想で、あのオチにたどり着きました。文体というか、作風を変えて書くのは面白かったですね。
呉:「待てば無料」は、十時というキャラクターが出てきた時点で若干ライトな読み味なのかなと思わせるんですけど、オチはかなりしっとりしている。しかも十時が推理を外すっていう。あのバランス感覚はすごいなと思いました。
芦沢:十時と奥平がしゃべっているとふざけたノリになるんですが、オチはなかなかですよね。「待てば無料」は、『週刊文春』の「ミステリー競作 5分の迷宮」に書いたもので、原稿用紙15枚以内という解決編しか書けないくらいの短さの縛りがあったので、「薄着の女」に登場させていた十時にもう一回出てきてもらおうと思ったんです。そうしたら十時も推理を外すことになって(笑)。
「お互いへの言葉は、ケンカにならないと分かっているから言える」
――読者の方から「お互いの作品で特に好きなものを教えてください」という質問が来ています。
呉:僕はやっぱり『カインは言わなかった』ですね。あとは『夜の道標』。あれはなんとも言い難い読後感で、自分には書けないなというのがすごく印象に残っています。ミステリーの部分だけ取り出せばもしかしたら近しいものを書けるかもしれないけど、あの作品にはならないな、と。
芦沢:私は呉さんの作品では『スワン』が印象的です。読んでいて「畳み方の精度も上げてきた。怖い、この人」と思った記憶があって。
あと呉さんの小説ってすごいエンタメで物語に引きずり込まれるんですけど、なぜか絶対いびつなんですよ。エンタメだったらここは書かないかなというぎりぎりのところまで踏み込んで、それをエンタメにするというところがすごく好きで。
呉:でも僕はエンタメとして書いているつもりなんですよ、実は。ずれてるんですよね(笑)。
芦沢:ゾクっとした意味で「呉臭」みたいなものが漂ってくる感じが、『おれたちの歌をうたえ』にはすごくあって。
こういうことを面と向かって言うのは、ケンカにならないって分かっているから言えるんです。今日もかなり踏み込んだことをお互い言い合うだろうとは思っていたんですが、意外に優しかった(笑)。
呉:嘘はつけないので(笑)。読んで面白かったから、ほんとに良かったです。
「短編集という形が日の目を見るきっかけに」
――最後に、今後の予定と読者の方へのメッセージをお願いします。
呉:独立短編集というものがなかなか話題になりにくい風潮がここしばらく続いていると思います。これをきっかけに、いろんな短編集にも目が向いてくれたらいいなと。そのトップランナーとして走っていらっしゃるのが芦沢さんだと思いますので、ぜひたまにはまた長編も書いていただきながら(笑)、今後ともよろしくお願いしたいなと思います。
芦沢:呉さん、今日完璧すぎて。私がホスト役のはずなのに、まったくホストをやる隙もない完璧なプレゼンをありがとうございました(笑)。
次回作は9月に『ハザードランプ』(小学館)という短編集が出ます。12月には『魂婚心中(早川書房)が文庫化します。来年は『火のないところに煙は』(新潮社)の続編と『嘘と隣人』(文藝春秋)の続編が出る予定です。未来の私がなんとかしたら出ますので、どうぞよろしくお願いします。
参加者プロフィール
芦沢央(あしざわ・よう):1984年東京生まれ。2012年『罪の余白』で野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。2023年『夜の道標』で日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞。2025年『嘘と隣人』で第173回直木賞候補。
呉勝浩(ご・かつひろ):1981年青森県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒業。2015年『道徳の時間』で第61回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。2022年『爆弾』で第167回直木賞候補、『このミステリーがすごい!』『ミステリが読みたい!』ともに2023年版第1位を獲得。









