平成の世を生きる作家が、昭和戦前期に青春時代を送った父親の若き日々を辿る。私的な物語であると同時に、昭和の青春を愛しむ普遍的な物語になっている。
父親、宮本演彦(のぶひこ)は明治四十二年(一九〇九)に神奈川県横浜市保土ヶ谷の眼科医の家に五男として生まれた。神奈川中学(神中、現在の希望ヶ丘高校)から慶応義塾大学に進み、卒業後、教員になった。平成四年(一九九二)に死去。没後、子息である北村薫さんは父親の若き日の日記を読んだ。
本書はその父の日記をもとに、註を付けるような形で父の青春を再現している。家族、友人、学校生活、読書、文学とりわけ児童文学への熱い思いが綴られた日記は、誰もが経験する青春時代と重なり合い、自分のものではないのに無性に懐しい。また、読み手である北村薫さんが時代背景を書きこんでゆくことで、小さな昭和史になっているのが貴重。一般に昭和史というと政治家や軍人によって語られることが多いだけに、本書のように一人の青年を主人公にしている物語は、生き生きとして現代の読者にも身近かに感じられる。
本書が取り上げる「父」の日記は大正十三年(一九二四)、十四歳の時から、昭和四年(一九二九)、二十歳の時まで。時代は、大正十二年の関東大震災の悲劇のあと、日本社会が困難を乗り越えて復興しつつある激動期。大正天皇の死により元号が大正から昭和にかわり、新しいモダン都市がたちあらわれている時代でもある。何よりもまだ大正デモクラシーの余韻が残る平和な時代だった。昭和十年代に入ると一気に戦時色が強まるが、昭和のはじめはまだ「つかのまの平和」があった。「父」の青春時代はその意味で幸せだったと言えるだろう。
「父」の日記を読んでいて何よりもまず驚くのは知的に早熟であること。現在の中学生よりはるかに教養が深い。十四歳で室生犀星の『幼年時代』をはじめ倉田百三の『愛と認識との出発』、葛西善蔵の『哀しき父』などを読んでいる。中学の五年生(旧制の中学校は五年まで)の時には次々にドストエフスキーを読んで感銘を受ける。
知的レベルが高い。大正教養主義の時代だったし、何よりも小学校を卒業してすぐに実社会に出る子供が多かった時代、中学に進学出来る子供は経済的に恵まれていた。エリートだった。だからこそ、それにふさわしく勉強しなければならないという自負、責任感があったのだろう。
関東大震災で母親と弟妹を亡くした「新堀君」という友人に『平家物語』と『レ・ミゼラブル』を貸すところなど胸を衝かれる。本によって友情が保たれている。
「父」が通っていた神奈川中学が自由な校風だったことも、次第に文学に惹かれてゆく少年の人格形成にいい影響を与えている。
中学三年生の時に「父」は横浜のオデヲン座という名画を上映する映画館に「キネマファン」として何度も通っている。大正十五年に公開された「狂った一頁」も見ている。若き日の川端康成が脚本を書き、衣笠貞之助が監督した日本最初の前衛映画と言っていい映画である。かなり難解な映画だった筈で、中学生がこれを見ているとは「キネマファン」ならではだろう。
映画館が悪所と思われ教育上好ましくないとされていたこの時代、中学生が町の映画館に映画を見に行っても許されていたのだから「父」の通う神中が自由な校風だったことがうかがえる。
先生のなかには、英語の勉強のためにオデヲン座で映画(トーキー)を見るといいとすすめるさばけた人もいる。あるいは授業で白秋の詩を読む国語の先生。修身の授業に「洋食の喰べ方」というマナーを教える校長先生。
大谷内越山(おおやうちえつざん)という講釈師を学校に呼んで語らせたというのも面白い。戦前の旧制中学や旧制高校に見られたリベラリズムである。神中では、のち、昭和十一年(日中戦争の始まる前年)には、生徒たちが、軍事教官として学校に来た軍人の横暴に対して一致して抵抗したこともあったという。
自由な校風の学校に通う「父」はよく本を読み、映画を見る。文章を書くことが好きになり、自ら童話を書くようになる。
「父」はその頃、コドモ社から毎月出ていた『童話』という雑誌を愛読していた。川上四郎の絵、西條八十の童謡、千葉省三の童話などが若い読者の心をとらえていた。
大正時代は児童文学が大きく花開いた時代である。明治時代の富国強兵、殖産興業の空気のなかでは児童文学は育ちにくかった。児童の教育、教化が優先された。日露戦争に勝利し、日本が西洋列強に近づくようになってから社会にゆとりが生まれ、児童文学が生まれた。
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