廃館が決定し閉鎖された図書館に、女子三人組と青年コンビが、それぞれ忍びこむ。廃棄処分されてしまう懐かしい児童書を頂戴するため。自分が昆虫学者を目指すきっかけとなった昆虫図鑑をもう一度眺めたいから。互いに侵入目的の似通っていた二グループは、館内で鉢合わせする。その直後、彼らは正体不明の敵に攻撃される。偶然知りあった若い男女は協力して防御にあたり、脱出を試みるが、敵の策略に阻まれて事態をなかなか打開できない。
そのような内容の『ブック・ジャングル』は、敵の奇策とそれに対する知恵や行動力との攻防の面白さで読ませる。だから、限られた登場人物から犯人を推理する謎解きがテーマである、いわゆるクローズド・サークルものとは、趣が異なる。だが、「閉じた場」が舞台に選ばれている点では、石持らしい作品だ。
『ブック・ジャングル』の図書館で展開されるのは、一種の戦争である。図書館と戦争といえば、有川浩のヒット作で映画化もされた『図書館戦争』シリーズを連想する人もいるだろう。同作はメディアの自由をめぐって武装集団同士が争うSF作品だった。そこで行われるのは、戦争らしい戦争だ。
これに対し、『ブック・ジャングル』で若い男女を襲うのは、林立する書架の間を自由に飛び回るラジコンのヘリコプター群である。小さくて軽いそれは、掴んだり叩いたりできれば、容易に壊せるやわな代物にすぎない。ところが、敵は様々な細工を施しており、操縦技術にも長けている。
昭和の特撮ドラマ『ウルトラセブン』には、おもちゃの兵器が本物の兵器になって襲ってくる回があった。『ブック・ジャングル』の状況はそれに似ており、冗談みたいな攻撃なのに人の生死がかかっているという、大胆な設定を読ませる石持の力業が楽しい。
この解説の冒頭で石持浅海は「閉じた場」に魅せられていると書いたが、それは宿、飛行機、水族館、ペンション、屋敷、秘密施設、図書館といった物理的な「場」だけのことではない。石持作品では、あるグループが仲間内でだけ通用する価値観に染まっており、外部に対し心理的に閉じている例がしばしばある。また、物語の途中で仲間の残酷な裏切りがあっても、最後には残されたメンバーが団結や友愛を確認して終わる例も目立つ。だが、ラストのその団結心が、世間的な価値観とは違っているため、ハッピーエンドなのか不気味な幕切れなのか判別がつかないこともある。物理的な空間だけでなく、作品に登場するグループも世間から「閉じた場」と化している。そして、石持作品では、自分一人の価値観から出られず、一般常識と乖離した人物もよく登場する。自分の心が「閉じた場」になっているのだ。様々な形で閉じていることが、石持作品独特の緊迫感を作り出している。
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