『水軍遙かなり』は2012年7月から翌13年9月末まで中日、西日本、北海道新聞3社と神戸新聞(神戸新聞は3ヶ月ずれて10月から14年1月末まで)の夕刊に連載した著者初の新聞小説である。
「水軍」というと、瀬戸内の水軍がやたらに有名で、九鬼の影が薄いが、それを承知で、九鬼家2代目の守隆と向き合ったのは2つの理由がある。
その第1は――、
主人公の守隆の青少年時代が日本の三大英雄、信長、秀吉、そして家康の生涯とほぼ併行していること。
これによって、守隆の目を通して、この3人の英雄を、公平に比較しながら論述できると思ったからである。
特に読者の方々に注目していただきたいのは、これまでの時代小説で触れられていなかった、以下の3点の謎解きである。
1 信長との関係では、毛利水軍との決戦に、
「本当に鉄甲船を用意できたのかどうか」
10年前のデビュー作『信長の棺』(文春文庫収載)では、そこまでの技術的検証のできぬままに通説に従ったが、本編は水軍小説である以上、この謎の追究は避けて通れなかった。
この結論は「鉄甲船はなかった」
である。だが、その根拠等については詳細を本書に譲りたい。
2 秀吉については、
「秀吉旗下の日本水軍が、なぜ文禄の海戦では、朝鮮の[亀甲船]ごときに苦杯を喫し、次の慶長の海戦では、苦もなくこれを撃破できたのか」
この謎にも、この作品は――、守隆の言葉を通して――一つの答えを出している。
さらに、ここで裏話を1つ。
この謎解きのヒントは、第2次大戦中の日本の特攻機(亀甲船に相当)攻撃とアメリカ海軍の「被害のシミュレーション分析」による対応の変化にある。大方の賢明な読者の皆さんは、これだけで「ははあ」と解ってくださるだろう。
なお、この詳細も本書後半の守隆の家康との会見の中にある。