文春写真館

学生運動から転向して経済学の世界的権威となった青木昌彦

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

学生運動から転向して経済学の世界的権威となった青木昌彦

 理論的経済学の世界的権威で、ノーベル経済学賞候補としても名前があがった青木昌彦は、昭和十三年(一九三八年)、愛知県名古屋市生まれ。都立小山台高校卒業後、東京大学に入学する。

 在学中、学生主体の新左翼党派、共産主義者同盟(ブント)の幹部として、書記長の島成郎らとともに活動する。理論家として優れ、東大細胞の会議では共産党中央の批判を猛烈な早口でまくしたて、姫岡玲治のペンネームで書いた論文は、ブントの理論的バックボーンとして影響を与えた。しかし六〇年安保を経てブントは解体し、青木は大学院に進学。学生運動から離れ、近代経済学を専攻とする。

 大学院修了後、アメリカに留学。スタンフォード大学、ハーバード大学で助教授となる。昭和四十四年、京都大学経済研究所助教授を経て、昭和五十二年、同教授となる。昭和五十九年、スタンフォード大学教授就任。

 比較制度分析を専門とし、長期にわたる海外経験から、制度論、コーポレート・ガバナンス、企業の理論、日本経済、中国経済などの分野にわたる研究業績をかさねてきた。昭和六十三年、『日本経済の制度分析』を執筆、アメリカで起きつつあった「日本経済特殊論」に対して、日本経済の理解への一助となった。平成二年(一九九〇年)、スタンフォード大学に比較制度分析の専門コースを世界のトップレベルの経済学者とともに開設。平成七年から五年の歳月をついやした『比較制度分析に向けて』は、国際的に高い評価を得て、画期的な経済理論研究に贈られるシュンペーター賞を受賞した。

 平成十三年、新設されたRIETI(経済産業研究所)の初代所長に就任。

「日本は古い秩序が崩れはじめ、制度の変わり目にある。だからこそ内側から見たかったんです」(「文藝春秋」平成十四年十二月号「日本の顔」より)

 写真は、当時、慶應義塾大学で行われた特別講演会にて撮影。

 しかし、三年間でRIETIを去る。その心境はいささか複雑であった。

「私個人にとっては研究面で時間を無駄にしたのではないか、という思いを今でも完全には拭えない。だが、その期間、私はこのベンチャーに中途半端ではなく全力投球をしたという自負もある」(『私の履歴書 人生越境ゲーム』日本経済新聞社より)

 二〇〇八年、国際経済学連合会長に就任。平成二十七年七月没。

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