わたしが最善だと判断するとたいてい間違っているものだが、このやり方が学生の要求に合致したのか、大学で一番大きい教室が連日満員になった。しかも授業中は寂(せき)として私語一つなかった。これは授業の内容によるというより、わたしが厳しく「もし私語をしたら腕ずくでも出て行ってもらいます。腕ずくだと負けるかもしれませんが、最近よく歩いているから、逃げ足は速いですよ」と注意したからだ。
授業で心がけたのは、学生たちに自分の頭で考えてもらうことだった。学生が自分で考えなければ、哲学を教えたことにはならない。学生が本気で考えた末に疑問の余地なく納得するか、疑問の余地なくわたしをやりこめるか、どっちかであってほしい。そのためには分かりやすく、興味のもてる授業にしなくてはならない。哲学に分かりやすさよりも深遠さを求める人もいるが、自分で考えてもらうためにも、哲学の面白さを伝えるためにも、分かりやすさが絶対条件だと思ったのだ。
その講義に手を入れたのが本書である。哲学入門書として次の特徴がある。
(1)真面目な本である
真面目ということが特徴になるのは異常だが、わたしの書くものにしてはとても真面目である。これには理由がある。たとえば「わたしはエスカルゴの味が嫌いだ。だから一度も食べたことがない」とか、「うちの大学には女性教員が目立つ。教員五人中、七人が女性だ」といったわたしが好んで書く冗談は、実は哲学に関係があり、それがこの本のテーマなのだ。ウィトゲンシュタインが「一冊すべてをジョークで書いた哲学書もありうる」と言った通り、こういう冗談の言語構造こそが実は隠れた哲学の問題である。「なぜ人間は八本足か?」という副題もそれを表している。そういう本に冗談が混じると混乱するだけだ。
(2)実際に問題を解いてみせている
この本の狙いは、どうなれば哲学の問題を解決したことになるかを説明し、そう考えるしかないことを疑問の余地なく納得してもらうことだ。そのためには、実際に哲学の問題を解くところを見てもらうのが一番いい。そこで日常疑問に思うような問題をどう解決できるかを、実演販売のように実際に示した。問題の多くはわたしの自作である。取り上げた問題は、「夢の中に裸の看護婦が出てきた。裸なのになぜ看護婦だと分かるのか」「〈空はなぜ青いか〉と子どもに質問されたらどう答えればいいか」「マザーテレサは自分の満足のために活動したのだから、利己的だと言えるのではないか」「生きることに意味があるか」「自分も含めて世界のあらゆるものが、寸分違わず今ある通りに存在しているのは、可能性から言うとほとんどありえないことだから、奇跡と言うべきではないか」などだ。いずれもれっきとした哲学の問題である。これらが実際にどう解けるかを示した。
(3)分かりやすくする工夫を凝らした
哲学書に類を見ないほど実例を多数挙げた。極力分かりやすい説明を心がけたが、正確を期すると議論がこみ入ってしまうことがある。そこで随所に「黒板」を設けて、議論を整理した。まるで妻に弁解するときのような丁寧さだ。
本書には欠点もある。どんな哲学書もそうだが、本書もわたしの考えを色濃く反映しているのだ。その点が残念である。
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