某日、この解説文を書くようにという依頼のメールが来た。
かつて土屋師がさくらももこさんと一緒に仕事をされることが決まったとき、それまで師へ敬意を払うことの一切なかった研究室の人々の、師を見る目が変わったという挿話を思いだした。今回、私の研究室でも、ありがたいことに、その数分の一くらいの評価の変化が見られた。なかには、「あの愚にもつかないことを、よくもまあ性懲りもなく、延々と毎週毎週書けるもんだわ」と評する者もいないわけではなかったが、「そんな失礼なことを言うものではない。あれはあれで素晴らしい能力なのだ」と注意した。
しかし、何を書くべきか分からない。困ったのだが、依頼は間違ってきたのかもしれない。その可能性に一縷(いちる)の望みをかけていたら、文藝春秋社から、校正刷りが送られてきてしまい、どうやら本気で依頼してきているらしい。それでも、出版されるとき、解説文がないから出版できないなどということはないはずだ。書かなくたって何とかなるだろうと思っていたら、なんと、土屋師自身からのメールが届いてしまった。以下、原文のままである。
金田一秀穂様
初めて連絡させていただきます。わたしは土屋賢二と言い、お茶の水女子大学で哲学を教えておりました。現在は定年で仕事から解放され、細々と苦悩の年金生活を送っております。
このたびは、お忙しいところ、拙著の解説をお引き受けいただき、まことにありがとうございます。大変光栄なことと喜んでおります。
突然のお願いに驚かれたことと思いますが、『通販生活』で昔、先生がわたしの名前をお書きになっていらっしゃったのを拝見し、わたしの数少ない味方ではないかと思い、お願いいたしました。遅まきながら失礼をおわびいたします。
わたしの本は、本文が内容希薄で文章拙劣ですので、解説で売るしかありません。わたしの本の売り上げは、ひとえに解説にかかっております。そういう重要なお仕事をお願いするのは心苦しいかぎりですが、先生の手腕におすがりするしかない事情をお察しいただければ幸いです。
ホメていただく必要は微塵(みじん)もありません。売れるとお思いになれば悪口でも誹謗でもかまいません。わたしは、本が売れさえすれば身を切る覚悟です。思う存分、お好きなことを書いていただければ大変うれしいです。その結果、解説の方が本文より面白くなろうが、ご自分の評判を落とそうが、わたしは甘受するつもりです。
いきなりの厚かましいお願いで恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
土屋賢二(以下略)
会ったことも話したこともない国語学者の三代目で、親や祖父の七光りだけで売っている金田一秀穂とかいう者が、自分の本の解説を書くという。いったい何を書かれるのか、さぞやご心配されたのであろう。その胸中、察するに余りある。おいたわしい限りである。
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