春やすみの校舎は荒凉とよごれていた.校長にともなわれて一巡した.前の年から十ほども見たうちで最もそまつでほかのじょうけんもよくはなかったが,どんなところであろうときめてしまうつもりでいた.前任者のやめかたが急で新しい学期がはじまるまでに百じかんあまりしかないため,やとうほうでもたいていならきめてしまうつもりでいたらしく話は早かった.
その数じつ,やはりどうかして生まれそだった家は出てしまおうと気もちをきめたところへのよびだしだった.日本語科の求人の少ない年だったということもあるが,はじめはあまり遠い土地へは行く気がなかったし,卒業論文の執筆に踊りの資格しけんとひろめのぶたいのじゅんびがかさなり,もちろんふつうならば職のことが最優先されるのだろうが,私にはそれが一生の選択というつもりがなかったから,気の合わないほうの親のひにくをあびながらもなかなかきめられないでいた.
ぜんたいを見わたせる窓をあけて私にも見せながら,校長は私の前途へのはげましのくちょうで,じぶんのは夕日の輝きであるが私のは朝日の輝きだなどと言ってとまどわせた.とにもかくにも千にんをとりしきるたちばは人生の成功というものなのだと理解するのにひとこきゅうかかった.まして私じしんがここにつとめることをもって輝きはじめることとも言いうるとおもいつくのはとてもむずかしかった.そこは,気のすむように物を書きつづけるため,おもてむきは順調だったそれまでのくらしをひとまず捨ててひっそりともぐりこもうとしている,仮の冥府,もしくはそこへの最初の旅程とかんじられていた.
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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