日本に本格的フランス料理を紹介した辻静雄は、昭和八年(一九三三年)、東京・本郷に生まれる。実家は和菓子店だった。早稲田大学でフランス文学を学び、卒業後、大阪読売新聞社に入社するが、割烹料理の学校を営む辻徳光の娘、勝子と結婚し、読売新聞を退社。阿倍野に辻調理師学校を開校する。新聞記者から料理研究家というまったく異質の世界に飛び込んだ辻が見たのは、狭い職人の世界だった。
「自分の料理だけがいいという人が大勢いて、こうした先輩から技術を教わることだけが、料理を学ぶということだった。これでは、限られた範囲の中でしかフランス料理をつかまえることはできないし、何が本物なのかを知ることも難しい。また、ましてフランス料理を体系的に研究しようとしても、教えてくれる人など誰もいない」(文春文庫『料理に「究極」なし』より)
昭和三十八年、日本で学ぶことを拒否した辻は、フランス料理研究のため、単身で欧米を視察旅行し、数々の有名料理長の知己を得た。
昭和四十七年、リヨンよりポール・ボキューズとジャン=ポール・ラコンブを招聘し、講座を開く。大阪、東京、フランスに開校した辻グループの校長として、数多くのフランス料理の料理人を育てた。また、日本でのフランス料理の研究、普及に尽力したことにより、フランス政府よりM・O・F(フランス最優秀職人賞)名誉賞を贈られた。
食卓の楽しさを満足させる条件は、ごく単純だと辻は説く。
「一緒にいて楽しい人たちと食事を共にすること。一緒にいて楽しい人というのは、ざっくばらんに話ができて、なおかつその人のことを尊敬して、その人が、こちらにないものを持っている。二時間、三時間共にしている間、言葉の端々に、一言でも『聞いてよかったな』と思わせてくれる言葉がこぼれてくる人。そんな人を相手に食事を共にすることほど人生最高の楽しみはないでしょう」(同前)
写真は昭和六十年撮影。中央が辻夫妻。本間長世東大教授、評論家の粕谷一希氏、外務省の北村汎官房長各夫妻の顔が見える。平成五年(一九九三年)没。
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