書評

浅間の長い稜線を行く孤独な男女

文: 村田 喜代子 (作家)

『草すべり その他の短篇』 (南木佳士 著)

 そうして登り詰めて雄大な山の姿を眺めると、大の男の彼が思わず涙ぐんでしまう。この涙もろさは彼の心の病いのせいかもしれないが、読むうちに主人公の弱さに初めは呆れ、しかし、そのうちに何か居ずまいを正し座り直している自分に気がつく。

 何となく今までは根拠もなく信じていたけれど、強さがそんなにいいことなのか。じわりと疑念が浮いてくる。いつから強さが善と思い込んできたのか。鎧(よろい)を着込んだ心の表皮がパラパラと解けて剥がれて落ちていく。浅間の雄大な山容(あれはまるで皮を剥いた獣の背のような気味の悪い姿だが)に向かって、おろおろと涙し、痛めた足を引きずり、高所に眼をくらませ、過去を反芻(はんすう)しつつ彷徨(さまよ)う男の足跡が、何か稀少で貴く思えてくるのだ。人間は弱くならねば見えてこないものがある。

 表題作の『草すべり』は、高校時代ひそかに憧れていた同級の少女と四十年ぶりに再会し、誘われて二人で浅間山に登る話だ。イギリス帰りの才媛で眩しい存在だった彼女は、今は小柄な体に野球帽をかぶり、ナップザックを背負った初老の女性になっている。結婚と離婚と、それに続く何か暗い過去を歩いてきたような噂を聞いたが、男はそれには触れず尋ねることはしない。

 男はまだ生まれ故郷の浅間山の頂上をきわめたことがない。彼女は子供の頃から祖父と何度も登って詳しい。突然の再会は麓の登山口での待ち合わせだった。健脚の彼女は颯爽(さっそう)と行く。「よろしくお願いします」と男は頭を下げてついて登る。火山礫の路を彼は頼もしい彼女に先導されて、浅間山頂の杭の立つ標高二千五百二十四メートルに立つのである。

 二人は道々、学校時代の思い出話などわずかにするが、ついにどちらの人生の来し方も明かさない。そうやって、巨大な古火山が何度も噴火し、崩壊して盛り上がり、せり上がった浅間の偉容を眺めるのだった。

 さて帰路である。行きはよいよい、帰りはこわい。二人の前に立ちはだかるのは標高差三百メートルの、草すべりの長い登り返しだった。そこへきて初めて彼女の体調が激変する。足が遅れがちになり、ついに喘ぎながら這い登るようになる。四十年ぶりに会う彼女の身に、何か重大な異変が起こっていることを感じさせる。

 憔悴した彼女をそのまま下山させるわけにいかず、男は登り口のホテルに一夜の部屋を取ってやり、自分は痛む足を引きずりつつ、夕闇と霧の垂れ込めたバスの停留所に向かう。

 人生の折り返しと、苦い草すべりの登り返しと、それぞれの長い空白をはさんで一日だけ会い逢うた女との話。今は白髪も混じる彼女の、何かに挑むような小柄な姿もいとおしい。

 南木佳士は読後じわじわと細い雨水のように沁み入ってくる。数日、浅間の外輪山の長い稜線を行く孤独な男女の姿が点となって私の瞼に残った。

草すべり その他の短篇
南木佳士・著

定価:本体571円+税 発売日:2011年09月02日

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