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ラテン系クライムノベル

ラテン系クライムノベル

文:村上 貴史 (評論家)

『サウダージ』 (垣根涼介 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

 二〇〇〇年にサントリーミステリー大賞を『午前三時のルースター』で獲得してデビューした垣根涼介。彼は、昨年発表した第三作『ワイルド・ソウル』で大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞の三冠を獲得した、現代日本ミステリ界において最も勢いのある作家の一人である。だが、彼は三冠というポジションに安住したりはしなかった。第三作までの勢いのままに、さらなる飛躍を遂げたのである。

 この『サウダージ』は、垣根涼介にとって五冊目の単行本であると同時に、アキという若者を中心人物とした三冊目の著作でもある。アキ――ゴツい肉体にスマートな知性を宿したその男は、垣根涼介の第二長篇『ヒートアイランド』で初登場した。この緊張感に満ちたクライムノベルの痛快作において彼は、クレバーな相棒と二人で渋谷を仕切るストリートギャングのトップとして描かれた。後に彼は、相棒とのコンビを解消し、渋谷の事件で知り合った柿沢と桃井という二人組の犯罪者に招かれ、彼等の一味に加わることになる。アキがアンダーグラウンドを流れる金を奪うプロフェッショナルとして生きていく道で第一歩を踏み出すまでの修行の模様は、前作『ギャングスター・レッスン』に詳しい。ここで五項目のレッスンを重ねたアキは、本書において、いよいよプロとして本格的な“仕事”を開始することとなった。

 高木という男がいる。柿沢がかつて裏金強奪のプロフェッショナルとして育成すべく指導したが、最終的に信頼できないと採用を見送った男だ。八年前に縁を切ったはずのその高木が、麻薬取引に絡む一億六千万円のヤマを持ち込んできた。彼は、愛人の娼婦DDとともに、彼女の故郷コロンビアへ移り住むための金を得たいのだという。どうにもうさんくさい話――だが、飛び入りのDDに打合せを引っかき回された結果、彼等はその“仕事”を推進するという結論に至ってしまった。柿沢、桃井、アキ、そして高木。それぞれが四千万円を手中に収めるべく、プランは進んでいくが……。

 巧い。そして、それ以上に熱い。

 やはり垣根涼介、只者ではない。

 まず、単純にアキの初めての大仕事となっていない点が巧い。『ヒートアイランド』『ギャングスター・レッスン』に続く作品という意味では、アキをもっと中心に据えてもいいのだろうが、垣根涼介はそうしなかった。アキと同様に教育されながら、最終的に柿沢に放逐された高木を、アキにぶつけているのである。しかも、本書に限れば、高木はアキ以上の重みで描かれているのだ。そうすることで、シリーズキャラクターであるアキと初登場の高木が同じ影の濃さで対比されるようになり、その結果として、ポリリズムのビートに身をゆだねるような心地よさが生まれているのである。こうしたバランス感覚のよさは、第二作『ヒートアイランド』のころから既に明らかではあったが、本作では、その手腕にますます磨きがかかったことがよく判る。

 恋愛劇に関しても、垣根涼介はアキと高木を見事にバランスさせている。アキが年上の恋人・和子とオーソドックスな恋愛を始めるのに対し、高木とDDは肉愛であり、ところかまわず射精するといったかたちで、まさに対照的な恋愛劇となっている。しかしながら、高木がDDと付き合ううちに自分のなかに宿っていた気恥ずかしくて笑い出したくなるような素直さを発見したり、あるいは、アキと和子が性的に深く目覚めていくなど、共通点も少なからず生まれてくるのだ。こうした共通化と対比のバランスも見事。しかも、そうした恋愛劇が、一億六千万円の強奪という基本的な流れを妨げずに盛り込まれている点もさすがだ。いやはや、まったくもって巧いのである。

 そして、この小説は熱い。登場人物のそれぞれが、それぞれの流儀で熱情を示しているのだ。なかでも熱いのが、コロンビア人娼婦DDである。彼女と高木の交わりのなんと熱く生々しいことか。体液っぽいところやばっちいところも含め、彼等の行為は包み隠さず描かれており、二人の根源的な情愛の熱さがひしひしと伝わってくるのだ。この『サウダージ』は、従来作品になかった濃密さで性描写が繰り返し挿入され、それがストーリーを突き動かす役割をきちんと果たしている点で、垣根涼介がまた進化したことを証明した一作といえよう。

 こんな具合に巧くて熱い『サウダージ』。従来からの読者にももちろんお勧めが、『ワイルド・ソウル』で垣根涼介を初めて知った方々にも、是非読んで戴きたい(できれば過去の二作も含めて)。『ワイルド・ソウル』が備えていた南米的気楽さという魅力と、日本政府が国民を異国に棄てたという過去を糾弾する姿勢は、『サウダージ』にもしっかりと継承されているので。もちろん、『ワイルド・ソウル』の山場の一つであったカーアクションは本書でも健在であり、読者の期待に応えてくれている。

 ラテン系クライムノベル――いささか乱暴な表現だが――というジャンルを開拓しつつある垣根涼介。彼の拓く大地からは、まだまだ美味なる果実が収穫されるだろうが、まずは、『ワイルド・ソウル』を凌(しの)ぐ出来映えといえるこの『サウダージ』を味わってみて欲しい。経験したことのない刺激的な味を愉しめること請合である。

文春文庫
サウダージ
垣根涼介

定価:935円(税込)発売日:2007年08月03日

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