8月25日、東京・帝国ホテルで第169回芥川賞・直木賞の贈呈式が行われました。
直木賞は垣根涼介さんの『極楽征夷大将軍』(文藝春秋)と永井紗耶子さんの『木挽町のあだ討ち』(新潮社)の2作受賞。コロナも明け、会場には500名以上の出版関係者が詰めかけ賑やかな式となりました。
選考委員を代表してお祝いのスピーチを行った京極夏彦さんは、今回の選考で新たに加わった新選考委員。ご自身はじめての直木賞選考会について、こう振り返りました。
「過去168度の選考は知りませんが、選考会で、この2作は最初の投票で同点、そして最終投票でも同点。これは、過去なかったか、たいへん珍しい、ということでございます。つまり、ほぼ拮抗して、この2作が図抜けていた、ということになるわけです」
そして、受賞2作ともに時代・歴史小説ではあるけれど、「まったく違う構造の小説」と、両作を読み解いていきます。
「厚くて重くて長いけど、続きが読みたくなる」
「垣根さんの『極楽征夷大将軍』は、600ページを超す二段組の大部の小説です。選考委員の中でも、厚い、重い、長い。一日二日では読みきれない、という声が聞こえてまいりました。しかしなぜか、私は厚くて長くて重いものに耐性があるのです(笑)。私はほぼ1日で読んでしまいました。のみならず、もっと続きが読みたい、あそこ、端折られているけど書いてほしかった、そんな気持ちにさせてくれるものでした。
そもそも太平記を一冊にまとめようなんて、無謀な話なんです。でも垣根涼介という人はそれをやっちゃったんですね。そして大変、うまくできてるんです」
自身も日本屈指の「分厚い」作品を数多く手掛けている京極さんらしい言葉から始まったスピーチは、受賞作の中身へとグイグイと踏み込んでいきます。
「この作品で足利尊氏は『極楽殿』、つまりはボーっとした人だと最後まで言われ続けるのですが、人格の新解釈というところに踏みとどまるのではなく、尊氏という、実は情報の取捨選択や判断力に優れた人物をひとつの装置として描いている。そして、その装置を側近がどういうふうに操っていくか、どう付き合っていくか、その結果どうなるか、という、一種のシミュレーションみたいなところまで踏み込んでいます。
これを現代に言い換えると、AIに対する使い方、を感じさせてくれるんです。
AIは非常に優れているけれど、使い道を間違えるとちっとも役に立ちません。素っ頓狂な答えしか出てこない。でも、ちゃんと使えば、たいへん役に立つ。尊氏についても、そういうところを感じさせてくれる。
つまり、非常に現代的に読み解きやすい形で、構築された太平記の読み替えをしている。実に気宇壮大な小説なんです。しかも、面白い」
「ミステリー、人情噺、芝居噺の美点をうまくまとめあげた」
続いて、永井紗耶子さんの『木挽町のあだ討ち』について。こちらは、小説の構造である「一人語り」の部分にスポットを当てて、その巧みさについて触れていきます。
「一方で『木挽町のあだ討ち』には、武将も出てこなければ戦もありません。時代もずっと下り、市井に暮らす人々の暮らしの悲喜こもごもを、細かく細やかに描いた人情あふれる江戸モノ、、、、だと思ったら大間違い。ぜんぜん違う。もちろんそういう読み味の作品ではあるんですが、ミステリーを書かれている永井さんならではの構造になっておりまして、一章一章の構造が一人語りです。
この一人語りというのは、大きなリスクを負っています。聞き手が不在ですから、地の文以外で、語っている内容の信頼性がない、ということです。これはミステリーでいうところの『信頼できない語り手』ということになる。それが章を重ね、人を代えて続いていく。
それからもう一つ、一章まるまる一人の語りにしているのですが、こうすると、それぞれ非常に饒舌な感じがしてしまう。しかも聞いてもいないことも喋りだす......。
このあたりが、こういう仕組みで作られた小説の欠点なのですが、実はこの『木挽町のあだ討ち』という小説は、この欠点を見事に逆手にとっている。それこそが、ひとつのトリックみたいになっている。素晴らしい逆転の思想です。さらに、だんだん読んでいるうちに真相がわかってくる。ミステリーだと、途中でわかってしまうと問題だということになりますが、この作品はそうではない。読者が真相にたどり着くことによって物語が成立していくんです。
そしてラストに至って、大どんでん返しは、用意されていません。ここには、読者がそうであってほしい結末がきちんと用意されている。人情味のあふれる人情噺がそこに現れます。
この小説には、ミステリーでもなく、人情噺でもなく、しかも全体的に芝居噺のケレンがたっぷりと盛り込まれています。いわばこの3つを融合する形で、それぞれの美点をうまくまとめあげた、大変テクニカルな小説です」
好対照な2作品について京極さんがじっくり語った後、いよいよ授賞者の登壇となりました。
「本って、面白がって読まれることによって、存在する」
まずは垣根さん。少し照れた、肩の力の抜けた柔和な表情で語り始めます。
「デビューして今年で23年か24年目になりますが、その間、10回くらい文学賞の候補になったと思います。もちろん幸いにも受賞することもありましたし、受賞に至らなかったこともありました。実は、こういった文学賞の候補になったときに、他の候補作を、読む気になった時はわりと読むんです。で、今回はけっこう読む気になりまして、他の候補作の方の作品を買って、読み始めました。
それで、具体的な本の名前は言いませんが、一冊目に読んだものがめちゃくちゃ面白くて、いやこれは面白いと思いまして。読んでいて、どんどん面白くなっていくんです。
でもその一方で、自分は『ヤバいヤバい。こんなに面白がっているオレはヤバいんじゃないか』とずっと思ってまして。
それでもやっぱり、面白かったんです。
本を閉じた時に、『こんだけ面白かったらもう十分だ。自分も一生懸命書いたけど、これが来ちゃったらまあ、しょうがないよね』と思ったんです。
そうしたら、たまたま私の作品も受賞作に選ばれまして。
結局本って、こうやって、面白がって読まれることによって、存在するというか。そういう思いが、まあこうやってこの壇上にいることにつながっているんだな、と思っています。全然脈絡も関係性も説明できないんですが、いま感じていることは、そういう空気みたいな、なんとも説明できない思いですね」
自作に込めた思いなどに言及することなく、本、小説の普遍的な価値にふんわりと触れるような、なんとも味のある言葉が並んだ。
「これが手応えというやつなのかな、と」
そして作家デビュー13年目を迎える永井紗耶子さんは、垣根さんとは対照的に、非常に緊張した面持ちで壇上に上がった。
「デビューのときに自分は何を言っていたんだろう、と振り返ってみましたら『書き続けていきたい』と言っておりました。『書き続ける』ということは、編集の方々が、書いていいよ、と言ってくれたことで、私が書いて、発表して、みなさんのご感想をいただくことができた、また、周辺の方たちが、応援してくださった、そういうことが繰り返されてきたからこそ書き続けられた、ということです。
いつもいつも作品を書いている時って、自分で『ああ面白いなあ』とか思ったりするんですけれど、、次の瞬間『なんだこれ? なんだこの原稿?』と思ったりして、ずっと闇に向かって投げているようで。
でもはじめて感想が返ってきて、『あ、届いたんだ』というふうに感じる、ということを繰り返してきたんですが、今回たくさんのあたたかい選評を読んで、いろんな書店の方たちの応援の声を聞いて、本当に、あ、これが手応えというやつなのかな、というふうに感じております。
これからも、書き続けていくことができるなあ、とすごく嬉しく思っております」
編集者、書店員さん、そして読者。作家、そしてその作品関わるさまざまな人達への感謝の思いにあふれたスピーチとなった。
垣根さんと永井さん、好対照の2人、好対照の2作。いずれも小説の醍醐味を十二分に味わえる名作、といっていいだろう。秋の夜長の読書に是非、手にとってみてはいかがだろうか。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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