しかしナポレオン自身の本当の考えは、近代のヨーロッパ文明の起源であるオリエントに行き、そこから何か近代にはない古代の文明のもとを体験したかったのだと思う。その中心がピラミッドであったことは疑う余地がない。その証拠にピラミッドの中にはひとりで入り、一夜をすごしている。しかしその後イギリス海軍に地中海のエジプト沖を封鎖され、四苦八苦して逃げ帰っている。その後のナポレオンは総じて負け戦(いくさ)で、フランス本土で皇帝にはなったものの、ついに最後は大西洋の孤島セントヘレナで死んでいる。
ピラミッドに過度の期待や私欲をもって臨むと良いことはないという、いわゆるピラミッドの呪いの発端である。
とは言え年間七〇〇万人近くの人が世界中からやってきて、満足して帰っていく魅力がピラミッドにはある。ピラミッドはエジプト人にとっては、古代エジプト人が作った定期預金口座とも言えるものだ。いや定期預金より利率は高くいいかもしれない。こうした多くの人を魅了するピラミッド、その魅力のもとは何であろうか。
なぜ建てられたのか?
その最大のものは謎が多いということだろう。ミステリアスなのだ。その姿は巨大だ、誰の眼にも見えるし、その重量感たるや比べるものがない。しかしその存在以外何もわかっていない。あれだけ大量の記録を神殿、墳墓、碑文、文書にヒエログリフをはじめとするエジプト文字で残した古代エジプト人はピラミッドに関する記録をひとつも残していないのだ。当時のエジプトの最大のタブーだったのだろう。その造り方も、誰が造ったかも、ましてや何のために造ったかも一切残っていない。
ピラミッド・テキストというものが、第五王朝(紀元前二五~二四世紀)以降のピラミッドの中に残されている。クフ王の大ピラミッド建設の一〇〇年くらい後のことだが、その内容は王がこの世でしたこと――主に神々に対する儀式や儀礼の記録――や死んだ後のあの世への道の儀式のことなど、呪文形式の文章でしかない。ピラミッドがなぜ建てられたのか、ここでも何も語られてはいない。
今、人々の関心はピラミッドの謎の中でもピラミッドが王墓か否かに集中している。私は考古学者なので、建築法とか、ピラミッド建造主に大きな興味があるが、その建造目的論にもそれなりの考え方をもっている。
その持論を述べるとなると大きなスペースを必要とするが、結論を簡単に言うならば、墓か否かより、ピラミッド建設によって当時のエジプト人がどれだけの恩恵を受けたかを考えるべきだということだ。
ファラオの建造物に関わる喜び、それに関わることにより賃金を受ける実益、このプロジェクト遂行のための国家力の推進など、現代の国家運営に大いに参考となるのだ。
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