書評

麻雀とハニャコさん

文: 白幡 光明 (元編集者)

『後妻業』 (黒川博行 著)

 夏休み中に書き上げようと原稿用紙に向かったが、どうすれば話が展開するのか、皆目見当がつかず、反古(ほご)が出るばかり。ついに音を上げて「あかん。ハニャコちゃん、ギブアップや。おれは小説には向いてへん」

 すると雅子さんの柳眉がにわかに逆立ち「男がいったん口にしたことを途中で投げ出すやて、恥ずかしいやろ。最後まで書き」と叱り飛ばした。

 この叱咤があったればこそ、サンミス第一回佳作『二度のお別れ』が生まれたのである。さらに第二回佳作の『雨に殺せば』、そして第四回大賞『キャッツアイころがった』に繋がり、「作家・黒川博行」が誕生したのである。恐るべし、雅子さんの“叱咤力”。

 大賞受賞後、出版各社から執筆依頼が殺到した。注文を片端から受けたものの、高校教師との二足の草鞋、睡眠時間を削って書くしかなかった。ついに体力の限界が来て、作家専業になることを決心する。三十八歳だった。

「あかん。ハニャコちゃん、体きついわ。学校、辞めてもええか」

「しんどいんやろ、ピヨコちゃん。ええよ」

 このとき、黒川さんには、雅子さんが慈母観音に見えたという。むろん、一方では、「しばらく芽が出なくても、ハニャコちゃんの給料で食わしてもらえるやろ」との下心もあった。それらすべてを承知の上で、雅子さんは「ええよ」と微笑んだのである。後顧の憂いのなくなった黒川さんは観音様の掌の上で縦横に活躍し始める。

 黒川さんは公言する。

「何十年と麻雀やって役満もいろいろアガったけど、最大の役満は、ハニャコちゃんと一緒になれたことやな」

 ご馳走さま。

 ちなみに黒川さんの本の多くは雅子さんが装画を描いている。

 さて、黒川作品には、『麻雀放蕩記』をはじめとする博打ものと諧謔味溢れる『大阪ばかぼんど』シリーズなどのエッセイ集もあるが、中核をなしているのはミステリーである。そのミステリーも、芸大出身らしく美術界を舞台にしたもの(これにも雅子夫人の内助の功が在ると聞く)とハードボイルド系統に別れ、後者が主流となっている。

 作品のほとんどが大阪を舞台に大阪弁の会話で語られ、物語が展開していく。大阪弁を自在に駆使する作家として田辺聖子さんがいるが、ハードボイルドでここまで徹底している作家を寡聞にして知らない。そして綿密な取材に基づいた緻密な描写。そのスタイルはデビュー時から今日まで一貫して変わらない。

 黒川さんは大阪にこだわる理由を「大阪を舞台にしているのは、大阪の土地以外よう知らんからや。他の土地のことを調べて書くことはできるけど、リアリティーがなくなってしまう」という。大阪弁を使うのもリアリティー、土地の匂いを出すためだという。しかし実際の大阪弁を使っているわけではない。

「喋り言葉をそのまま使っても大阪人以外は理解できないし、字にすると品がない。せやから“ちゃう”と言うところを“ちがう”と書いたりして、大阪弁の感じを残しながら工夫しています」

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後妻業黒川博行

定価:本体740円+税発売日:2016年06月10日


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