──作品の中では有料老人ホーム「ひまわり苑」と「ひまわり幼稚園」の一体化が進められる過程で、老人と幼稚園児が出会います。最初、老人と子供たちは互いに強く警戒しあって、なかなかうまく交流することができません。
荻原 世代の異なる老人と子供たちがふれあって、互いに欠けているところを埋め合う――言葉にすることは簡単ですが、実際はそんな生やさしいものではないと思います。互いに反発したり、かみ合わないことも実際には多いのではないでしょうか。
──確かに年齢差が七十近くもある老人と幼稚園児たちが、すぐに仲良くなれるとは思えません。年寄りだから子供は好きだろうという理屈は乱暴だし、庭を散歩しているときに周りで子供にバタバタされたら、自分の孫であっても単純にうるさいと思います。
荻原 今は老人と幼稚園児の隔たりが、以前よりとても大きくなっていることも要因としてあると思います。いま「老人」と一口にいっても、実際に戦争に行った人もいれば、空襲で戦争を覚えている人もいる。飢えに苦しんで小麦粉に藁(わら)の粉末を混ぜて食べたような人もいるでしょう。一方の幼稚園児は、まるで実写のようなCGアニメーションを生まれたときから当たり前のように観て育ってきている。……この感覚の隔たりはとても大きい。昔の老人と子供は、もっと単純な存在だったと思います。
──物語の中にもさまざまなキャラクターの老人が登場しますね。妻を亡くした後に「ひまわり苑」に入所した誠次、健啖家(けんたんか)の寿司辰、経歴不詳の片岡さん、園芸好きの磨須子さん、かつて新橋の売れっ子芸者だったというおトキ婆……。とても「老人」という一言ではくくることができません。
荻原 今回の物語は登場人物が多いので、意識的にひとりひとりの外見や言動を特徴的なものにしました。老人を描くときに特に気をつけたのは「いかにも年相応の」老人像にしないということ。そうするといかにも年下の人間が書いたウソになってしまう。これは最初からできていたことではなくて、ついそんな書き方をしてしまうところを、書きながら軌道修正していきました。
──そこは若干苦労されたところでしょうか。
荻原 そうですね。確かに自分の周りを見ても、僕より世の中に順応しているお年寄りはザラにいる。僕の父親は熱狂的な巨人ファンなんですが、全試合を観るためCS放送の契約をしています。そのリモコンの操作方法はとても複雑で僕でもよくわからないのに、難なくこなしている。ときどき「こんなこともできないのか」といわれるくらいで(笑)。
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