インタビューほか

老人と幼稚園児の不思議な交流

「本の話」編集部

『ひまわり事件』 (荻原浩 著)

──物語に登場する誠次は、どちらかといえば世の中に積極的に順応するというより、若干意固地な印象がありますね。

荻原  積極的に世間に順応しようとしているのは、どちらかといえば誠次たちと敵対しているグループの老人ですね。健康に気を使ってタバコを吸わず、酒もほどほどにして、ウォーキングもしたりする……。

──イヤミな英語を使う松沢と、彼を取り巻くグルーピーのような女性たちですね。

荻原  彼と彼女たちは「あらまほしき老人像」が誠次とは違うんでしょうね。老人に限らず、さまざまな世代で理想像はあると思いますけど、当然それに対して「ケッ」と思う人間は必ずいる。僕もこれから健康志向になって禁煙するなんて無理だから(笑)、誠次の側の人間かもしれない。 

後から意味がわかること

──物語の中で老人と幼稚園児たちは麻雀をしたり、ひまわりの種を一緒に蒔(ま)くことなどを通して、少しずつ交流を始めます。

荻原  感覚の隔たりがある一方で、基本的にはどんな時代に生まれようが、楽しいものは楽しい、感動とまではいかないけれど「心が動く」ことは変わらない――と考えて、麻雀を小道具に使いました。でも実際に誠次・寿司辰・片岡さんたち老人と卓を囲む幼稚園児は和樹だけで、晴也と伊梨亜はしない。二人は麻雀牌(ぱい)の模様や形状そのものの方に心を動かされている(笑)。秀平に至っては、麻雀にはまったく興味を持たない。晴也たちと仲間だから一緒にいるだけです。

──あくまで反応はさまざまなんですね。確かにひまわりの種を一緒に蒔いて、その育ってゆく過程を見て感じることも、誠次と園児たちとでは違っています。

荻原 そもそも誠次がひまわりの種を蒔こうと思ったのは、癒しのためでも何でもなく、自分より若い女性の入居者の関心を引くためのスケベ根性から。晴也たちも誠次にひまわりが怪獣よりも大きくなるといわれ、はじめて興味を持って、一緒に種を蒔きます。やっぱり反応や関心の方向は違う(笑)。でもひまわりの種を蒔く、育ってゆくひまわりを見つめるということは同じで、その時間を老人と幼稚園児が共有したということが結局は大切なことだったんだと思います。そのときは意味がよくわからなかったけれど「雰囲気の記憶」はなぜか残って、後からその意味がわかってくることがありますから。

──確かにそういうことはありますね。

荻原  意思の疎通ということだけでいえば、老人と幼稚園児とはかみ合わないのかもしれない。けれど「何か」が残る可能性はありますから、いろいろとやりあうことはムダではないと思います。もちろんトラウマのようなものが残ってしまっては困りますけれど(笑)。 

ひまわり事件
荻原 浩・著

定価:1890円(税込) 発売日:2009年11月14日

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