第14回松本清張賞を受賞した『銀漢の賦』は、男たちの友情の物語である。「花の美しさは形にありますが、人の美しさは覚悟と心映えではないでしょうか」という言葉に、私は胸をつかれる。この「心映え」もまた、「羽根飾」の別名だろう。
天地に仕える心は、友に殉じる心映えと同じである。友のためならば、男は死ねる。そして、死んだ友との友情は、生き残った男の心の中でさらに大きく成長してゆく。命の花は、無双の友情の花となって永遠に咲き誇る。
第146回の直木賞受賞作の『蜩ノ記』は、命をあと10年と限られた戸田秋谷の、最後の3年間の命の花の輝きと、見事な散りざまを描いている。
「蜩ノ記」は、秋谷が書いている日記のことである。「夏がくるとこのあたりはよく蜩が鳴きます。とくに秋の気配が近づくと、夏が終わるのを哀しむかのような鳴き声に聞こえます。それがしも、来る日一日を懸命に生きる身の上でござれば、日暮らしの意味合いを籠めて名づけました」と、秋谷は語っている。凋落の季節、命の衰えを見せる秋の木で鳴く蜩の声を、山里の庵で聞く人間の心には、寂しさや深い感慨が湧き上がってくる。それが、秋谷の思いであり、秋谷を敬慕する人々の思いである。
死の直前、「もはや、この世に未練はござりませぬ」と語る秋谷を慶仙和尚が諭す。「未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう」。
この思いで切腹の刻を迎えた秋谷は、見事な「羽根飾」を心に秘めていた。それを書きつづる葉室麟の心には物狂おしい、しかし清冽な思いが渦巻いている。この熱きロマンは、現代人が忘れかけた大切な宝物の存在を思い起こさせる。
『恋しぐれ』は、俳人の与謝蕪村をめぐる人間模様を描いた連作短編集。葉室麟はデビュー作『乾山晩愁』以来、「芸術家小説」を得意としてきた。『恋しぐれ』では、蕪村・円山応挙・上田秋成などの芸術家の周囲で、解くに解けない人間関係のもつれが生じる。それを蕪村が、短い俳句で言い据える。すると、どんな大きな苦しみも、芸術へと昇華されて救われるのだ。私は、連作中の一編「隠れ鬼」の俳人・大魯の生きざまに、胸をつかれた。俳句は、世界苦と戦う文学者の「羽根飾」でもあるのだ。
『川あかり』は、笑ったり泣いたりで忙しい快作である。気持ちのよい涙が、次から次へとこみあげてくる。藩で一番の臆病者が、刺客の役目を仰せつかる。武士、美女、盗賊、農民が入り乱れ、黒沢映画の『七人の侍』のようにテンポが良い。私は、『蜩ノ記』『銀漢の賦』に次ぐベストスリーに挙げたい。
『刀伊入寇』は、「荒ぶる心」を持った貴公子・藤原隆家が、東アジアから侵入した外敵を撃退する戦いを描く。『枕草子』や『源氏物語』の時代と重なる王朝物である。葉室麟の文明観は、古代をも見つめている。
日本という国の文化が抱え込んでいる闇の大きさが、世界史レベルであぶり出される。もはや、都も地方もない。ここには、命を賭けて守るべき日本文化、命を賭けて戦うべき日本文化が、あるだけである。
『星火瞬く』は、近代前夜の横浜に、革命家バクーニンが短期間滞在した事実に着目した異色作。葉室の視野は、日本から世界へと向かっている。
最新作が、『無双の花』。立花宗茂のモットーは、「立花の義を立てる」ことだった。「義」は、主君への忠誠を超えた理念であり、天地に仕える雨宮蔵人の生き方とも通じる「心意気」である。武装する誾千代をはじめ、女たちも宗茂の心意気に応えて戦う。この女の戦いは『冬姫』でも描かれる。
葉室文学のメインテーマは、人間の心意気の顕彰である。群雄が割拠する歴史・時代小説の世界で、「無双の花」を咲かせた葉室麟の「羽根飾」は、凛とした佇まいで、これからも多くの読者の心を奮い立たせてくれることだろう。
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