末國氏は『十楽の夢』では、「信長の改革を再検討して」いったと書く。
これはその通りである。
当時、信長を天才として礼賛する風潮が強かった――いまでもそうだが――ので、果たしてそれほどのものなのか、という疑問が最初にあった。それで信長の商業政策や伊勢湾をめぐる交易などを調べていったのである。結果としては、楽市楽座は信長の独創などではなく昔からあるもので、こと商業政策に関してはさほど独創的とはいえない、という結論に至った。
ただその問題意識が、小泉構造改革に影響を受けたものなのかと訊かれると、うーんとうならざるを得ない。執筆中に小泉首相を意識したという記憶がないのである。市民オンブズマンやNPOを意識してもいなかったが、一方で網野善彦氏の『無縁・公界・楽』を参考にして、「強力な中央集権体制からの自由」を希求する人間として主人公を造形していたから、「草の根の抵抗運動」としてつながりがある、とはいえるかもしれない。
と、かなりあいまいな話になるが、あらためて考えてみると、書き手だって自分が考えたテーマが生まれた背景までは明確に意識していないという事実に行きあたる。そのへんが「時代の無意識」ということなのだろうか。「作者の意図」ではなくて「無」意識だから、書き手自身にもわからないのである。そう考えると、末國氏はなんともつかみどころのない仮説を相手に奮闘しているのがわかる。本書に書かれているのは、野心的な試みの軌跡なのである。
なるほど労作なのはわかるけど、そのあたりの分析はむずかしくて……、という人もいるかもしれない。そんな人には強力な読書案内として読むことをおすすめしたい。豊臣秀吉にしろ明智光秀にしろ、主要な登場作品は戦前の小説どころか江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎まですべて網羅されているから、まことに徹底している。信玄と謙信を題材にした最も古い作品のひとつが近松門左衛門作の浄瑠璃だなんて、私も初めて知った。
時代小説を読み込んできたマニアであれば、自分の既読書を確認しつつこれから何を読もうかと方向を定められるし、時代小説をあまり読んだことのない人は、この本で全体の流れをつかんでから、興味を持った本を読んでゆけばはずれがない。
さらにすれっからしの時代小説読みを自負する人は、各章を読みながら、この本が書かれた時代の無意識は、と末國氏の分析方法を真似して、二〇〇六年から二〇一〇年までの世相をふり返ってみるのもおもしろいかもしれない。「失われた二十年」といわれているが、じつは次への飛躍のためにかがみ込んで、ひたすら力を溜め込んでいる時期だった、なんて結論になるといいのだけれど。
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