書評

無為のまま、永遠に生き続ける男の
壮大なる物語

文: 陣野 俊史 (文芸評論家)

『永遠者』 (辻仁成 著)

読者の想像力に任される結末

 辻は、恋愛小説を書いた。だが、いわゆる「3・11」以後書き進められたこの小説は、単に恋愛だけに収斂しなかった。ここがこれまでの彼の小説と大きく異なる点である。リシャール・ブーラーから受け継いだ富と権力を十分に行使して、カミーユは世界をその掌中に収めようとしている。途轍もない野望をメラメラと燃え上がらせている。彼女にとっては、人類の運命などじつはどうでもいいのだ。自分が推進する方途こそがまず大切なのであり、その結果、人類にどれほどの災禍が降りかかろうと、おそらく気にしてはいない。彼女自身は死なないのだから、人類の外に立っている。カミーユの発想の根源にあるのは、そうした極端に有為の思想である。無為から有為へ。カミーユは変貌した。

 考えてみれば、恋愛とは無為である。精神的・肉体的に抱き合っているだけである。元外交官だったコウヤが、1世紀以上、定職を持たず、女性に愛され続けるだけの存在であることは象徴的だ。コウヤは最期まで無為の存在なのである。無為のまま、永遠に生き続けて、「ほんとうの愛」を求めるはずだったコウヤとカミーユはしかし、小説の後半にいたって、有為と無為に棲み分けさせられている。これを悲恋と解釈するかどうかは、おそらく読者に委ねられている。そして最後の最後に起こる悲劇についても、読者は戸惑うだろう。だがそこで起こったであろうことについても、読者の想像力に任される。結末は書かない。私はこの結末を“無為の勝利”と読んだことだけを書き添えておく。

 小さな点で気になるところはある。たとえば、物語の最初のほうで結婚を迫るコウヤに対して、カミーユは「私はいわゆる、紙無し」、不法滞在者であり、フランスに戸籍がないから、結婚なんて意味ない、と語るところがある。「紙無し」を意味する「サン・パピエ」が「滞在許可証を持たぬ者」の意味で使われ始めるのは、手元の辞書(プチ・ロベール)によれば、1975年であり、1900年の言葉として違和感はある。

 むろん小さな違和は、この壮大な物語の前では、なにほどのものでもない。辻は、「3・11」以後の恋愛小説を書き、無為とそれに敵対するものとの相克を、他の誰にも書けない仕方で書き尽くした。私はそう読んだ。

永遠者

辻 仁成・著

定価:1680円(税込) 発売日:2012年10月12日

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