『陽暉楼』『鬼龍院花子の生涯』『寒椿』……土佐の花街や極道たちと、妖艶な女たちの世界。映画のあまりにも強烈な印象から、原作者の宮尾登美子とその作品も同様にイメージされがちだが、実際は少し異なる。
大正十五年(一九二六年)高知市生まれ。実家は遊郭の芸妓紹介業で、特異な環境で育ったことは、自伝的作品でもつぶさに描かれている。高等女学校を卒業し、国民学校の代用教員となるが翌年には同僚と結婚。長女を出産後、満洲に渡る。敗戦により引き揚げた後、結核を患う。
快復後、様々な仕事をしつつ小説を書きはじめ、昭和四十八年(一九七三年)『櫂』で太宰治賞を受賞。昭和五十四年に『一絃の琴』で直木賞、昭和五十八年『序の舞』で吉川英治文学賞を受賞。以後の華々しい活躍は知らぬ人もないほどだ。
写真は平成十七年(二〇〇五年)、『宮尾本 平家物語』がNHKの大河ドラマになり、歴史家の山内昌之氏との対談時のもの。清盛の妻・時子の政治力や責任感、包容力などに瞠目した山内が「彼女の度胸がすごい。ここ一番というところで女性は強い(笑)」と言うと、宮尾は「天皇擁立の陰には、さまざまな女たちの深謀遠慮があったに違いないと思います」と答えている。
宮尾は作中で、時子に清盛のことを、
「殿は一度怒れば恐いお方なれど、日ごろは至ってお気の小さいやさしいお方じゃ。私はいつもお仁王さんの体に鶉(うずら)の肝じゃと申しておる」
と言わせ、清盛もそうした女たちに「背筋の寒い思い」を抱いている。
また映画「鬼龍院花子の生涯」では、夏目雅子が演じる松恵の「なめたらいかんぜよ」という台詞が有名になったが、原作にはその台詞はない。命を張った男たちの世界では一人前には扱われず、人前に出ることもなく、ただおとなしく陰で家事をし、男の命令に従っている。けれども、つめた小指の血しぶきや、半分に吹き飛ばされた頭蓋骨にも淡々として、男たちの興亡を冷静に観察し、自分の進路を見据えていた。
平成二十六年十二月、八十八歳で老衰のため死去。男女平等や女子力、「輝ける女性」など想像もつかないような男尊女卑の時代に生き、それに黙々と従いながら、着実に自分の道を計画し実行するという、底なしの女の強さを体現し、作品に昇華した生涯だった。
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