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「ケータイ持ち込み禁止」は端緒に過ぎない

「ケータイ持ち込み禁止」は端緒に過ぎない

文:小河 勝


ジャンル : #ノンフィクション

  私は三十二年間、大阪の中学校教師として荒れる子供たちの渦の中で過ごしてきました。その多くは生徒指導主事として生活指導の真只中で事件や問題行動の処理にあけくれるものでした。彼らの行動は異様でした。ついさっきまで幼い、甘えた様子でくっついてきた生徒が、次の瞬間、訳のわからない憎悪の眼差しで迫ってくる。そして理解できない破壊的行動をとる。

   便所を破壊しつくし、弱いものを弄(もてあそ)ぶように嗜虐的な暴行を加える。友人の顔面を集団で殴り、鼻骨を折る。タバコでやけどを顔面につくる。その残忍さ。言葉で指導することが空しく感じるほどでした。彼らがなぜそんな行動をするのか、行動の原因が何か、私は理解できませんでした。

   他方、彼らは漢字が読めない、九九ができないなど絶望的なほど大きなつまずきを抱えていました。問題行動への対処と放課後の勉強の指導。必要に迫られ、教師はそのふたつに追いまくられていたのですが、私の中でこれらは基本的に別々の課題でありました。教育研究所にいたときのことです。エーリッヒ・フロムの『悪について』という本を何気なくめくっていたときでした。ふと気になる文言が眼に飛び込んできたのです。そこにはこう書かれていました。

   「無力感の中で人間は永遠に生きつづける事はできない……彼らは破壊を求めだす」

   と。「無力感」「破壊」……その言葉を見た瞬間、稲妻のようなものが私の脳裏に走りました。まさにそれは彼らのことでした。腐ってしまった絶望的な自分。その絶望から逃れようと暴れる彼ら。

   人間ゆえに暴れる姿が、助けてくれと言う絶叫が「荒れ」だったのです。フロムはユダヤ人でした。従って彼のこの言葉の背後にはナチズムがあります。しかし私にとってこの言葉はまさにあの荒れる子供たちの姿そのものだったのです。

   以来、私は「学力の回復で自尊心を回復させる」取り組みに全力を注ぎます。勤務校は勿論、山口県山陽小野田市、高知県室戸市、京都府八幡(やわた)市、沖縄県宜野座村など各地の教育委員会からの要請で長期にわたる組織的指導も経験し、成功裏に行なうことができました。

   しかし本書が提起するのは秋葉原事件を中心に、いくつかの同質の問題を通して考察した日本社会全体が生み出す構造的な歪みです。すなわち著者が提起する問題は、私の「学力と荒れ」の領域の実践とは比べ物にならない、これからの日本の子供たちが育つフィールド全体の構造的歪みを考察した広大なテーマです。

   十一月二十日、文科省は校内暴力が全国で急激に増加した旨の発表を行ないました。分けても中学生は前年度比で二〇%という異常な増加を示しています。これは子供たちの中に明らかに何らかの社会的歪みの噴出が起きているとみなすべき事態です。まさに秋葉原事件は氷山の一角であり、本書は一人ひとりの国民に向けた「警告」に他ならないのです。

アベンジャー型犯罪
岡田 尊司・著

定価:924円(税込)

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