この10月18日、小社では「文春学藝ライブラリー」を新創刊します。ひとことで言えば、この新ブランドは「名著、良書の復刊」を目指します。サイズは文庫判。お値段は文春文庫より少々高めですが、そのお値段以上に「お買い得」なラインナップを充実させていきます。
近年、出版界や読書環境をとりまく話題といえば、電子書籍に関するテーマが多くなっています。そんな時代に紙の本で新ブランドを、というと時代遅れのアナクロに思われるかもしれませんが、そうではありません。
創刊に際して歴史学者の磯田道史氏は次の推薦の辞を寄せてくれました。
〈知のファーストフードは手軽でいいが、精密で分厚いしっかり作り込まれた知の産物を味わいたい。しかも、安く。このライブラリーは、そうした昨今読書人の飢渇を癒してくれるはずだ〉
あたかも樽詰めされたワインが時間を経ることで熟成された風味を醸し出すように、書物も時間を経ることで、読み手の味わい方が変化を遂げることもあるからです。〈知の産物〉は古びた遺物では決してなく、時代の風雪に耐えた、歴史の宝庫からの贈り物ではないでしょうか。
さて、ここで創刊ラインナップの五冊を紹介します。
『近代以前』江藤淳
『保守とは何か』福田恆存/浜崎洋介編
『支那論』内藤湖南
『天才・菊池寛――逸話でつづる作家の素顔』文藝春秋編
『デフレ不況をいかに克服するか――ケインズ1930年代評論集』J・M・ケインズ/松川周二編訳
以下、簡単に内容を紹介しましょう。
『近代以前』は江藤氏の日本文藝の底流にあるものを深く考察する文藝評論。
『保守とは何か』は旧来の「保守」像を刷新する最重要作品を、気鋭の研究者が編み直した究極のアンソロジー。
『天才・菊池寛』は、本邦初のプロデューサーである作家の人間像を、縁深き作家や肉親の随想で描き出す逸話集――と、いずれも現代に再読されるべき作品です。
現代に蘇る卓見
さらに『支那論』と『デフレ不況をいかに克服するか』に至っては、これが歴史的な作品なのだろうか、と驚きさえ禁じえません。
『支那論』の著者・内藤湖南は、明治期に「萬朝報」「大阪朝日」でジャーナリストとして活躍し、後に京都帝大で東洋史講座を担当した、明治~昭和初期を代表する漢学者です。
この『支那論』の原著刊行は大正3(1914)年、つまり100年前のことですが、本書で内藤湖南が問うのは、「中国は近代化を経験したのか」「その中国において民主化はなしうるのか」という、まさに現代に通じる問題意識でした。
『デフレ不況をいかに克服するか』は、大恐慌の時代にルーズベルト米大統領が主導したニューディール政策の理論的支柱となったケインズの16本の論文・講演を初邦訳したものです。1930年代といえば80年も昔の時代ですが、その主張は、デフレ脱却に向けた「アベノミクス」の先行きを考える上で、示唆に富みます。
〈賢者は歴史や経験に学び、愚者は歴史にも経験にも学ばない〉とは作家・塩野七生氏の言ですが、まさに現代の日本が直面している「中国」「デフレ不況」という二大難問を解くカギが、ここにあるのではないでしょうか。
一見すると、現代の問題意識と百年前の言説は結びつかないかもしれません。その橋渡し役を果たすのが、しかもハンディな文庫判でお届けするのが、この「文春学藝ライブラリー」なのです。インターネットになぞらえれば、ハイパーリンクの役割と同じです。
「文春学藝ライブラリー」は、10月から隔月(偶数月)刊でスタートします。12月以降も、山本七平、保田與重郎、磯田道史、R・ニクソン、井上ひさし氏等の著作を、順次刊行していきます。
最後に、前出・塩野七生氏が創刊に寄せた一文を紹介します。
〈今よりは格段に情報が少なかった時代、人間にはより多く、より深く考える時間があった。その時代に書かれた、それも名著とされてきた著作を読んでみるのは、読書が職業でない人々にとっても、発想の転換に役立つのではないかと思う。
情報の海に溺れる愚かさから救いあげてくれるのは、この種の救命具ではないのか、というのが、これまで長く歴史上の人間たち、つまり情報が少なかった時代に生きた人々を書いてきた私の正直な想いでもあるのです〉
私たち編集部が「文春学藝ライブラリー」に期するものも、同じ志です。
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