独占企業の責任は厳しく問わねばならない
船橋 だから菅さんは事故後の3月15日に東電本店に乗り込んで対策統合本部を作ったんですね。中を抜いて直接指示を出せるようにし、また、自衛隊幹部を常駐させ、自衛隊を動かせるようにしました。事務局は経産省であり、保安院でしたが、彼らは自衛隊に指示を出せません。米英仏などは過酷事故に対処する部隊を持っていますが、日本は責任をもって緊急時に対応する組織がないままに原発を54基も稼働していたわけです。菅さんのこの時の決断と行動は、評価されるべきだと思います。当時保安院企画調整課長の片山啓さんも「こういう手があったのか」と不意をつかれたと述懐しています。危機の時にはこうした、ボトムアップではなくトップダウンのリーダーシップが不可欠なのだと思います。
――この本では文化や精神性で分析するのを避けていますね。
船橋 直接の因果関係を探るのに、文化を持ち出すのは危ないと思うんです。事実関係があやふやになります。事実を誤魔化し、隠すことになりかねません。文化のせいだとなると、みんなの責任となってしまう。つまりだれの責任でもなくなってしまう。それぞれが属する組織の圧力、不文律が強すぎて、客観的にドライにメスを入れることができずに、同じ過ちを繰り返してしまう。事実認定と因果関係の検証は「文化論」を持ち込まずに、むしろ検事のようにドライに臨むべきでしょう。国民の生命を預かる組織や、独占企業の幹部の責任は厳しく問わなければいけない。ただ、例えば、現場の運転員の緊急事態、暗闇の中での作業ミスなどは状況を勘案しなければいけない。誰がそういう状態に追い込んだのか。英語で〈System fails him.〉という言い方がありますね。それから日本の各種の調査報告書に欠けているのは、リーダーシップのあり方がどうだったかという視点です。事故後、福島県の市町村の首長選挙で、現職候補が軒並み落選しています。危機の時に首長たちのふがいなさを見ているから、変えたいと選挙民は思うのでしょう。では、新しい市長や村長はどのようなリーダーシップの持主なのか。それについて考え、議論したことはあるのか。選挙の際にリーダーシップ論は争点になったのか。我々はどういうリーダーが必要だったんだろうか、これからどう育てて行けばいいのか、の議論がない。危機が起こった際は、最後はリーダーシップです。全体を見る、全体をつかむ、全体を動かす、などリーダーに求められるものは何だろうかと取材しながら考えさせられました。
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