――船橋さんは原発事故に関して、既に大宅賞を受賞された『カウントダウン・メルトダウン 上下』(文藝春秋刊)を書かれていますが、『原発敗戦 危機のリーダーシップとは』で、なぜ改めて「フクシマ」を「戦史」としてとりあげようとお考えになったのですか。
船橋 民間事故調や『カウントダウン・メルトダウン』の取材で、「これは大本営発表だね」とか「神風特攻隊を送り出すわけにはいかない」という言葉を何度も聞きました。極限の危機に遭遇したとき人々の発想は、身近な尺度がなくなってしまい歴史的な記憶で認識していくのだと実感しました。今から振り返っても戦後最大の危機だったと戦慄を覚えるくらいですから。我々同時代の日本人にとっての最大の危機、第2次大戦と福島原発事故はどのような形で現れ、人々はそれに対してどう取り組み、「敗北」したのかを比較検証したいと、取材しながら思っていました。最終的にリーダーシップを中心に据えましたが、リスク、ガバナンスのあり方も合わせて、「戦史」の教訓を導き出したいと考えたのです。
――2つの危機の類似点はどんなところにあるのでしょうか。
船橋 本の中で、ヨコのガバナンスとタテのガバナンスという言葉を使いましたが、これが両方ともうまく働かなかったということですね。第2次大戦時にガバナンスという言葉はありませんでしたが、ガバナンス……統治、意思決定過程、つまり決められない政治、縦割り、蛸壺、縄張り、指揮命令系統の混乱、権限と責任の曖昧さ、組織内調和のための処遇人事といった問題点が第2次大戦とフクシマはよく似ています。軍部と官僚の人事異動は、危機管理、人命を預かるような部署でも毎年のようにクルクル変わるのです。日本の官僚は自分の司(つかさ)に対しての最適解は求めても、全体として国を資するためにどうするか、なにを優先するべきか、これらを考える仕組みは弱く、それを実行するリーダーシップも不十分だった。
――支援にきたアメリカが誰と交渉すればいいのかわからない、菅さんも指示を誰に出せばいいのか、東電なのか原子力安全・保安院なのかわからない、という状態でしたね。