書評

とびっきりの娯楽小説か、仕掛けのある社会小説か?

文: 山田 和 (作家)

『グローバリズム出づる処の殺人者より』 (アラヴィンド・アディガ 著/鈴木恵 訳)

   一九九〇年代の日本では『ムトゥ 踊るマハラジャ』や『ラジュー出世する』などのインド娯楽映画(マサラ・ムービー)が一世を風靡(ふうび)し、『ダイ・ハード』や『ターミネーター』シリーズなどのアメリカ・バイオレンス映画と競ったから、二〇〇〇年代に入って出た本書 (原題『The White Tiger』。二〇〇八年度ブッカー賞受賞)は、ひょっとしたらそのノリのインド娯楽小説と勘違いされるかもしれない。

   それほどこの小説にはスパイシーなシーンが満載されていて、私などは読んでいるうちにインドの真っ直中にいる気分にさせられてしまった。金で地位を買う話、部下の給料の上前をはねる上司の話、車で人を轢(ひ)いたら逃げるが勝ちの話、警察署長を買収して事件をうやむやにし、あるいはライバル会社をぶっ潰させる話、ネパール女や金髪女を買いに行く話など、どれも私がこの三十数年間に見聞してきた現実のインドの姿で、現代インドの裏実話が網羅されている。

   しかし作者のモティーフは本来そこにあるのではなく、数学好きなインド人の頭脳を彷彿とさせる複雑で華麗な仕掛けが施された、「グローバリズム社会の未来予測」が本題のようだ。この小説が「インドのIT都市視察を目前に控えた、中国・温家宝(ウエン・チアパオ)首相閣下への南インドの一殺人者からの手紙」という形をとっているのも、そうした主題の表れだと思われる。

   それが見えにくくなっているのは、おそらく作者自身が本書を書くさいに社会的政治的観点を消そうとしたからではないか。だから一見すると、何よりもディテールが精彩を放つ小説に見え、数年前にインドでメガヒットとなった『それ行け!ムンナの兄貴(ラゲー・ラホー・ムンナ・バハーイー)』(ムンバイのヤクザ・ムンナのもとにマハトマ・ガンジーの亡霊が現れ〈道〉を諭すコメディ映画)の対抗馬のような作品となっている。だが、全編をつうじて読者が感じる道化的な要素は、じつは現実のインドの最もシリアスな部分、深刻な問題点なのである。

   訳業の成果もあるだろうが、物語の間にはさまれている、とろけるように詩的な風景描写、そしてスパイスが効いた警句の数々が魅力的だ。たとえば、「(温家宝首相閣下!)中国はあらゆる点でインドよりはるかに進んでいるのに、起業家だけはいないようですね。かたやインドには、電気も水道も下水も交通機関もなければ、衛生観念も規律も時間の正確さもありませんが、起業家だけはいます」とか、「(私には教育がありませんが)でも、いいですか、閣下!  十二年の学校教育と三年の大学教育をめでたく終えた連中は、いいスーツを着ていい会社にはいって、あとは一生他人の命令をきいて過ごすだけです」とか、「インドにはひとつ問題がある。このでたらめな体制を議会制民主主義と呼んできたことだ」とか、「(インドで虐げられてきた連中の)奴隷根性のすさまじさたるや、自由への鍵をわたしてやっても、悪態とともに投げ返されるほどです」とか、「貧乏人のあこがれといえば……金持ちみたいな姿になることですが……金持ちのあこがれといえば……体重を減らして貧乏人みたいな姿になることです」等々、シェイクスピア風な筆をいたるところで走らせている。

グローバリズム出づる処の殺人者より
アラヴィンド・アディガ・著 , 鈴木 恵・訳

定価:1890円(税込)

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