書評

とびっきりの娯楽小説か、仕掛けのある社会小説か?

文: 山田 和 (作家)

『グローバリズム出づる処の殺人者より』 (アラヴィンド・アディガ 著/鈴木恵 訳)

   政治家に賄賂を渡しに行く地主の息子夫婦を乗せて大都市ニューデリーに向かった彼は、そこで政治の腐敗と社会の格差を目の当たりにし、「インドは『闇』と『光』に分かれている」のを実感する。「闇」とは、彼が育った北インドの農村地帯、旧社会の陋習(ろうしゅう)と貧困、差別(カースト)が渦巻く世界のことで、「光」とは、南インドに代表される新興IT都市、たとえばバンガロールでの実力主義、富、快楽、自由など、資本主義的欲望に輝く世界を指す。あるいはこの二分をインドの過去と未来というふうに受け取ってもいいだろう。

    インド人には珍しくリベラルで優しく接してくれるアメリカ帰りの地主の息子もしかし、バルラムを轢き逃げ犯に仕立てたことで所詮は「闇」の人間だったことを知る。そしてある雨の夜の路上でバルラムは……。

   物語はここから核心に入り、主人公の人生は大きく転換するが、これから先は読んでのお楽しみ。

   冒頭で「自由を愛する国、中国の……温家宝閣下机下」ではじまったこの書簡体小説の作者は、最終章で主人公にこう書かせる。「(こうして私の人生を包み隠さずお話ししたことで、起業家精神というものがどういうもので、どういう環境と心情から生まれるものか、閣下は充分おわかりになったでしょう)まさに“インド人と中国人、兄弟兄弟(ヒンデイー・チーニー・バハーイー・バハーイー)!”になったわけです」。

   主人公は、ネルー・周恩来時代に不成功に終わった印中友好スローガン(数年後の五〇年代末には国境問題で決裂、その後はこれをもじって『インド人は中国人にサヨナラだ(ヒンデイー・チーニー・バイ・バイ)!』と揶揄(やゆ)される)を持ち出し、親身なふりをしつつ中国首相をからかう。

   細部まで仕掛けが行き届いた小説である。主人公の「バルラム」という名はクリシュナ神の兄バララーマのことだが、小説中で「クリシュナの手下」と説明されているように、神話中では活躍しつつも目立つクリシュナに対して日陰の存在である。つまり作者は、インド人読者の意識の深層に立ってこの名を主人公に冠しているのだ。そのバルラムが「光」の国に身を隠してから名乗る「シャルマ」(バラモン・カーストの一)という姓の原義は「成功」「隠れ家」「安全」で、その後の主人公の状況を暗示しているし、シェイクスピアをもじった台詞(せりふ)も出てくる。また「初日の夜」「二日目の夜」「四日目の早朝」「五日目の夜」といった一見ランダムに見える各章のタイトルも、何らかのメッセージを盛り込んだパズルになっているように思われる。

   作者は不思議の国インドの現在をミキシング・グラスに注ぎ、見事にステアーしてみせた。カクテルの名は「The White Tiger」、というわけである。

グローバリズム出づる処の殺人者より
アラヴィンド・アディガ・著 , 鈴木 恵・訳

定価:1890円(税込)

詳しい内容はこちら