書評

とびっきりの娯楽小説か、仕掛けのある社会小説か?

文: 山田 和 (作家)

『グローバリズム出づる処の殺人者より』 (アラヴィンド・アディガ 著/鈴木恵 訳)

   作者は南インド・マドラス(チエンナイ)出身のバラモン(最上位)・カーストの青年で、一家でオーストラリアに移住後、コロンビア大学とオクスフォード大学モードリン・カレッジでエリザベス朝文学(シェイクスピアやマーロウなど)を専攻、卒業後「フィナンシャル・タイムズ」や「ウォールストリート・ジャーナル」などの経済紙に金融関連の原稿を寄せ、その後「タイム」誌の南アジア特派員を務めた。つまり作者はつい先ごろまで気鋭の経済ジャーナリストだった人物である。

   三十三歳でのブッカー賞(イギリスで最も権威ある文学賞)の受賞は史上二番目の若さ。その彼は、受賞インタビューで「子どものころから小説家になりたかった」と述べているから、これからはジャーナリストをやめて作家稼業に専念するに違いない。変容するIT大国・インドの現状を知り尽くした若き小説家の登場は、プレーム・チャンドやチャンドラダル・シャルマ・グレーリーなどに代表されるこれまでの内省的で進歩主義的な、あるいはその後の新創作(ナイー・カハーニー)運動によるインド純文学の流れを変えそうである。

   物語の主人公はバルラム・ハルワイ。最貧州ビハールの観光地ブッダガヤ傍の村で貧乏人力車夫(リキシヤ・ワーラー)(本来は菓子屋(ハルワイ)カースト)をしている父親の次男で、親から名前をつけてもらえず「坊や(ムンナ)」と呼ばれていたのを、教師に名前をつけてもらって公立の小学校に通いはじめる。

   信じられないかもしれないが、インドの公立学校は勉強を殆ど教えない、とくに英語は。英語ができなければ進学できず、ITもへったくれもないから、その先は親の職業を継ぐか上位カーストの「奴隷」(使用人)になるしかない。世の中へ出るには私立学校に入らねばならないが、授業料が高いだけでなく、立派な制服を着て家庭教師を頼む必要がある。つまり貧乏人には出る芽がない国なのだ。インドの「義務教育制」や「十一億の民主主義国家」という大看板は、実は一握りの人たちの権益を守る隠れ蓑に終始して、反民主主義者たちに重宝がられているのが現状である。そしてこの小説はそこを背景にし、そのことを告発してもいるわけだ。

   本来なら父親の職業を継いで、のたうちまわって一生を終えるはずの少年はしかし、抜き打ちで学校に現れた視学官の質問に見事に答えられたことから、「お前はジャングルのホワイト・タイガー(一世代に一頭しか現れない白い虎)だ」と言われ、「本物の学校(=私学)」に行くための奨学金を約束される。

   だが従姉の結婚資金を地主に借りたために、兄弟ともども村の茶屋で働かされる破目に。地主が炭鉱(やま)をもつ町の茶店に移って、殴られながら働くうちに運転手の給料がいいという話を聞きつけ、「働いた金を全額送る」約束で祖母から三百ルピー(約七百五十円)借りて運転を習う。そしてその町で暮らしている地主の家の第二運転手に雇われる。

グローバリズム出づる処の殺人者より
アラヴィンド・アディガ・著 , 鈴木 恵・訳

定価:1890円(税込)

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