文春写真館

長寿をまっとうした小倉遊亀の鮮明な記憶

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

長寿をまっとうした小倉遊亀の鮮明な記憶

 明治二十八年(一八九五年)生まれ。本名ゆき。奈良女子高等師範卒業後、横浜の女学校で国文学を教える。大正九年(一九二〇年)、一大決心をして、大磯に住んでいた安田靫彦(やすだゆきひこ)に弟子入りを志願する。当時、安田は病気療養中で、人との面会を避けていたが、小倉は半ば強引に押しかけた。小倉は数えで百歳になっても、当時の記憶を鮮明に覚えていた。

<神奈川県の図画教育研究会のことで一、二相談があるから、五分で結構ですからお尋ねしたいと申しました。やっと通された部屋は、西日が入るのでスダレが縁側の向こうに掛けてありました。水色の麻の座布団が二つ。しばらくすると先生が入ってらした。暑い日でしたが、セルの着物にセルの羽織を召していらっしゃいましたね>(「週刊文春」平成六年=一九九四年三月二十四日号より)

 安田に師事し、日本画を学ぶ。昭和七年(一九三二年)、女性として初めて日本美術院同人となり、昭和十三年、山岡鉄舟門下の小倉鉄樹と結婚する。

 同年、「浴女その一」で日本の女流画家として初めて裸婦像を描き、画壇に新風を吹き込んだ。昭和三○年、「裸婦」で芸能選奨美術部門文部大臣賞を受賞。七〇歳を越えてからは、梅を好んで取り上げた。「人間は老醜のみじめさをあじわわねばならないが、梅は年老いて美にますます深みをます」。昭和五十五年、上村松園についで女性画家として二人目の文化勲章を受章した。

 平成十二年、百五歳という長寿をまっとうした。写真は平成六年撮影。

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