書評

会社は自らを相対化できない

文: 平川 克美 ((株)リナックスカフェ社長・文筆家)

『株式会社という病』 (平川克美 著)

倒立する倫理

「株式会社という病」は、企業不祥事が頻発していた2006年頃に書き始めたものであり、この時点ではサブ・プライムローンの問題も、リーマン・ショックも起きてはいない。

 もし、この時点で世の企業家や、政治家、あるいはすべてのビジネスマンが、頻発する企業不祥事がどのような理由で起きているのかについての、明瞭なパースペクティブを得ていたなら、その後の世界は少しは違ったものになっていたかもしれない。ただし、もしそうであったとしても、リスクを回避できた可能性は限りなくゼロに近かったということも確かだろう。

 その理由を書いてみたいと思う。

 わたしの着想は、企業が不祥事を起こすのは、当時よく言われた、一部の質の悪い企業経営者や、その関係者が企業倫理を踏み外したという考え方が、的外れの見解であり、そのような的外れの見解が導かれる道筋のなかにこそ企業不祥事へつながる要因が含まれているというものであった。

 噛み砕いて言えば、企業が不祥事を起こすのは、特定の人間が倫理を踏み外したからではない。もし、特定の個人に瑕疵があったとするならば、それはかれらに倫理性が欠如していたからではなく、企業の倫理というものを必要以上に過大に信奉したがゆえに法を踏み外す結果になったと考えるべきである。

 それを理解するためには、個人の倫理と、企業の倫理は倒立して現れるということを知る必要がある。

 本当は、だれもがそれを知っているはずなのに、あまりに自明なことは見えてはいても理解することができないということが起こるものなのだ。

 どういうことか。

 たとえば、ある商品を販売する営業マンについて考えてみればよいかもしれない。

 商品は、自動車であっても、洗剤であっても、金融商品であっても何でも良い。

 営業マンは、自社の経営戦略に従ってこれらの商品をなるべくたくさん売りたいと考えている。その場合、見込み客に対して、自社の製品の長所は宣伝するが、ライバル他社の製品より劣る部分については口をつぐむことになる。かれにとって重要なことは製品を売りつけることであって、その製品をライバル他社の製品と引き比べて評価することではないからである。ましてや、自社の製品の問題点をあげつらって悪評判に加担するなどということは、会社に対する背信行為になりかねない。

株式会社という病
平川克美・著

定価:680円(税込) 発売日:2011年10月10日

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