- 2016.09.14
- インタビュー・対談
僕がカラオケで歌った「ハロー・グッバイ」が、この“幻の傑作”を生んだ
「本の話」編集部
『わずか一しずくの血』 (連城三紀彦 著)
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#エンタメ・ミステリ
連城三紀彦さんの新刊『わずか一しずくの血』は、1995年から翌96年にかけて「週刊小説」(現在の「月刊J-novel」の前身)に連載されたものの、単行本化に至らなかった幻の作品です。当時の担当編集者・石川正尚さんに、在りし日の連城さんのお仕事ぶりを伺いました。
――石川さんが連城さんと初めてお会いになったのはいつごろですか?
石川 連載が始まったのが1995年5月で、その前の年に当時の編集長から担当を命じられて、秋に荻窪のお宅に打合せに伺いました。当時、荻窪のお宅は事務所になっていて。
――「オフィス・レム」という事務所を関口苑生さんや香山二三郎さん、北澤和彦さん、上原ゼンジさんらと一緒にやっていましたね。
石川 近所の中華料理屋で、香山さんや秘書の濱田さんも交えて食事をして、その後、2人でカラオケボックスへ行ったんです。だけど、連城さんは中国語の歌を2、3曲しか歌わなくて、かわりに僕がずーっと歌い続けて(笑)。
――当時、連城さんは香港映画の大ファンでしたからね(笑)。
石川 それで100曲目くらいに歌ったのが、柏原芳恵さんの「ハロー・グッバイ」。この曲を歌い出したら、急に連城さんの顔色が変わって、「これはシュールな歌ですね」と仰ったんです。ほら、「私の心をスプーンでまわす」とか、ちょっと不思議な歌詞でしょう? そこで何かインスピレーションが湧いたみたいで、「どんどん人を殺していく殺人鬼の話を書きたい」と言い出した。それまで僕の下手な歌を聞きながら、ずっとどんな話を書こうか考えていたんでしょうね。
――なんと、この作品の構想は石川さんのカラオケに触発されて生まれたんですね(笑)。
石川 翌年の5月から無事に連載が始まったのですが、その時にはもう連城さんは名古屋に移られていました。
――お母様の介護のために東京を引き払ってお引越しされたんでしたね。
石川 それからおよそ1年半、連載中は一度もお目にかかっていないんです。連絡は電話とファックスでしたが、締め切りの時期に電話をするとまったく繋がらない時があって(笑)。編集者に原稿の催促をされるのが嫌で、電話線を引っこ抜いて押し入れに放り込んでしまうんですね。それでも原稿を落とすようなことはなく、無事に連載は完結しました。