文春写真館

コメディアン、歌手、ミュージカル俳優、
どれも超一流だった森繁久彌

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

コメディアン、歌手、ミュージカル俳優、<br />どれも超一流だった森繁久彌

 父は大阪の実業家、母は海産物問屋の娘。父が三菱財閥三代目総帥の岩崎久彌と親交が深かったため、大正二年(一九一三年)生まれの三男に「久彌」と名付けたという。

 早稲田大学商学部に進み、演劇研究部でも活躍する。軍事教練を拒否して大学を中退したため、以降、実業家ではなく俳優の道を歩むことになる。東京宝塚劇場、古川緑波一座などを経て、NHKのアナウンサーに合格。動機は「徴兵を免れられるから」だというが、満州に派遣され、甘粕正彦とも親交があり、命がけでソ連軍との最前線で謀略放送に従事したことも。終戦とともにソ連の捕虜となり、苦難のすえ翌年帰国。

 戦後も数々の劇団を渡り歩くが、新宿のムーランルージュでアドリブを交えて歌う舞台が評判を呼び、ラジオ、テレビ、映画出演が急増。東宝の「社長シリーズ」が当たり役となり、日本一のコメディ俳優と目されるようになる。

 写真は昭和四十一年(一九六六年)、映画「仰げば尊し」のロケ現場(瀬戸内の島の、学校の先生役)。人情喜劇を演じれば、右に出る者はなかった。

 テレビドラマの草創期に貢献。駆け出しの脚本家だった向田邦子に目をかけ、のち「七人の孫」「だいこんの花」といった人気作品を産んだ。

 歌う俳優であり、しかも自ら作詞作曲もした。「知床旅情」は今も残る名曲である。紅白歌合戦に昭和三十四年から七回連続参加。ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」は生涯に九百回演じるライフワークとなった。

 立川談志は森繁を「日本最高峰の喜劇役者」と評したが、ひとつのジャンルに納まらない巨人であった。平成二十一年(二〇〇九年)十一月、九十六歳での死は、多くの人に惜しまれた。

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